高橋ヨシキさん まぐスぺインタビュー

高橋ヨシキのクレイジー・カルチャー・ガイド!

  • マニアックなカルチャーガイドや映画レビュー満載!
  • 読者と向き合うQ&Aや世相を斬るニュース雑感も魅力!
  • 実は人気の言い訳コーナー「クレイジー・エクスキューズ」

●「安パイ」頼みが跋扈する映画業界

――舌鋒鋭い映画評論で熱狂的な支持を集める高橋ヨシキさんですが、2016年末にご自身のメルマガでも取り上げられて、大きな反響を呼んだのが……。

高橋:出た(笑)。『ローグ・ワン』の話ですね。

――はい。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』をご覧になられたのを受けて、第一作からのファンだった『スター・ウォーズ』との決別を宣言されましたが、この話題について、まずお話をお聞きしたいのですが……。

高橋:ある意味『ローグ・ワン』で、ファンと作り手の意識が一致しちゃったんですよね、この場合。「同じものに耽溺し続けていたい」というファンの欲望に『ローグ・ワン』は、ほぼ完全な形で応えているわけで、そこで利害は一致しているわけですが、本当にそれでいいのか? という。

僕は作り手が先に進むのをやめて、同じようなものを際限なく供給することを良しとするのはまずいと思うし、それを消費者と化した観客が「もっと、もっと」と要求するようになるという、そういうサイクルが生まれてしまうことに対する危惧もあります。これは『スター・ウォーズ』に限った話ではありませんが、そういう傾向が強まってきているという実感はあります。

――『スター・ウォーズ』といえば、世界中の誰もが注目している作品ですし、そんな重要な作品がそういうジレンマに陥ったというのは、今後の映画業界にもよくない影響を与えそうな気がしますね。

高橋:もちろん、そこまで単純な話でもなくて、たとえば現在『スター・ウォーズ』はディズニーの商品なわけですが、ディズニーは一方で非常に実験的な試みや、先進的なチャレンジも行っているわけです。革新的なことを尊重する気概はちゃんとあるんです。

また、マーベルもディズニーの傘下ですが、そっちでもメインどころの『アヴェンジャーズ』などとは別に、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とか『ドクター・ストレンジ』には「新しい、面白いことをやるぞ」という気概をとても感じます。

これは憶測になってしまいますが、『スター・ウォーズ』の場合はもしかしたら「ファンの気持ちを最大限忖度しておけば間違いない」という感覚があったのかもしれません。もちろん『ローグ・ワン』がたまたまそういう作品だったという可能性はありますが、しかしルーカスであれば絶対にやらなかったであろう、一種の「ファン・フィクション」としての『ローグ・ワン』がヒットしたので、その影響は今後のシリーズにも確実に及ぶと思っています。

――ただ、今後出る『スター・ウォーズ』の新作が一転して、映画作品としてのあるべき姿である「前へと進む作品」になっている可能性も、なきにしもあらずっていうことでしょうか?

高橋ヨシキさん1

高橋:どうでしょうか。本家のシリーズとスピンオフ的な作品で使い分けるという可能性はあると思っていますが、どうなることやら……ただ、僕は『007』シリーズも大好きなんですが、「『007』こそ、毎回同じじゃないの」と言われたら返す言葉もみつからないです(笑)。ただ『007』は、少なくとも以前は一話完結型だったので、ちょっと状況が違うということはいえます。

というか、リメイクやリブートばっかりになってしまった今の映画界の状況にも当然問題はあるわけです。21世紀になって『スター・ウォーズ』と『ゴーストバスターズ』と『ゴジラ』と『ジュラシック・パーク』の新作が次々と公開されるなんて、まったく予想していませんでした。

――そういう風にリメークやリブートばかり出てくるというのは、映画業界全体が新しいものを作り出すことに、及び腰になっているということなんでしょうか?

高橋:そうですね。リメイクやリブートだと、映画にお金を出す人や会社を説得しやすいんです。過去作があれば「こういうことをやります」ということがすぐに伝わるので。でもオリジナルの脚本を持っていって「こういう新しい世界観を示す映画をやりたいんです」といっても、それはなかなか伝わらない。

有名な話ですが、『マトリックス』も製作に至るまでには、内容が理解してもらえなくてとても苦労したそうです。だからコミックのアーティストに詳細な、ほとんどマンガのようなストーリーボード(絵コンテ)を描いてもらって、それを見せながら説明するということを丁寧にやって、ようやく分かってもらえたという。

当たるか当たらないかわからない映画を、大金かけて作るということは一種のギャンブルです。ただ、ギャンブルであっても、お金を出す方はなるべくリスクを軽減したいわけです。それをどんどん推し進めていくとリメイクやリブートが安全パイに思えてくるのも仕方のないことかもしれませんが、リスクはあっても新しいものにチャレンジしてほしいなとは強く思います。

――すごく乱暴に言えば、「今後はもう新しいものが出てこないぞ」っていう話になりますし……。

高橋:戦隊ものとか、『仮面ライダー』みたいなことになっている気もします。いや、戦隊ものや『仮面ライダー』の内容がどうの、ということではなくて、構造的なことです。つまり、毎年新しいライダーでシリーズを作り、それに付随するオモチャを作って1年間で売り切って、翌年はまた新しいライダーに移行するというような。『スター・ウォーズ』はマーチャンダイジングも巨大なので、もはや「作品が売れているからオモチャも売れる」のか「オモチャが売れるから作品を作る」のか、その境目すら見えにくくなっている気もするほどです。

とはいえ今後も『スター・ウォーズ』の新作が出たら、結局絶対観に行くわけです(笑)。ただ、『ローグ・ワン』でいったん『スター・ウォーズ』との付き合い方に踏ん切りをつけたので、今後は今までより気楽に楽しめるんじゃないかという気もしています。

――決別すると言っても、見るのを一切やめるわけじゃなくて、フラットな状態に戻して、また見に行くというか……。

高橋:うーん、本当にフラットな状態にはなかなか戻せそうもないのが、また辛いところなんですけどね。でもまあそれは個人的な折り合いの付け方の問題なので。

――『ローグ・ワン』の話も尽きないんですが、他の作品のことについても……。2016年の日本国内では、『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』といった作品が注目されて、高橋さんも『シン・ゴジラ』に関してはメルマガでも大いに取り上げられていらっしゃいましたよね。「あまりにも設定に頼りすぎている」といった趣旨で……。

高橋:「設定に頼りすぎている」というと、ちょっと違います。そうではなくて「物語」や「人物」というものは「設定」や「属性」で置き換えられるものではないんじゃないか、という話をしているんですが、メルマガで詳しく書いたのでバックナンバーで読んでいただけると嬉しいです。ただ、「設定」や「属性」があればオッケー、というような作品は世界的に増えてきているので、時代の空気なのかなあという気もしますが。

●混迷する現代社会をサタニズムが救う?

――ところで、高橋さんのプロフィールを拝見すると、ご自身がサタニスト(悪魔主義者)であることを標榜されているのが目を引くのですが、このサタニストというのは具体的にどのようなものなのか、気になる方は多いと思うのですが……。

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高橋:標榜してますよ(笑)。というか、しょっちゅう「自称サタニスト」と書かれるんですが、そして、実のところサタニストは自分をそう認識するかどうか、ということでもあるので「自称」でぜんぜん構わないんですが、一応ぼくはチャーチ・オブ・サタンからサタニストとして認可されてます(注:それがなくてもサタニストにはなれます。先にも書いたとおり、自覚と実践があれば良いからです)。

現在のサタニズムは、1966年にアントン・ラヴェイという人がサンフランシスコで始めた「チャーチ・オブ・サタン」がその始まりです。当時はカウンターカルチャーの全盛期で、それまでのキリスト教的な価値観や、それに基づくアメリカの精神性が大きく揺らいだ時期です。アントン・ラヴェイはそういう時代に、新たな哲学、新たな生き方としてサタニズムを提唱したわけです。根底にあるのは人間性の肯定だと言っていいと思います。キリスト教的な価値観が否定してきた欲望であるとか、快楽というものをサタニズムは尊重します。

ラヴェイは『サタニック・バイブル』という本を出版し、これはベストセラーになりました。ぼくがサタニストになったのも『サタニック・バイブル』との出会いがきっかけです。ラヴェイの提唱するサタニズム(ラヴェイアン・サタニズム)のベースにはニーチェやユング、アイン・ランドなどの思想が反映されていますが、とても大きな特徴はその徹底した個人主義と、人間性の肯定にあると言えるでしょう。

――そんなサタニズムですが、ざっくりと言えばどういった教えなんでしょうか?

高橋:ものすごく大雑把に言えば「宗教などに頼って思考停止するかわりに、自分の頭で考えて自分の足でしっかり立て」というようなことです。そう言えば、あまりヘンテコなものでもないということがお分かりいただけるかと(笑)。

ただ、アントン・ラヴェイという人は稀代のトリックスターでもあって、わざと刺激的な物言いをして人々を怒らせたり、スキャンダラスな話題を振りまくことが大好きでした。だからサタニズムはよく誤解されるんですが、そもそもラヴェイがそういう誤解を楽しんでいたわけですから、まあもうそれは仕方ない。

――日本でもあまり馴染みのないものですから、高橋さんはそれを信奉されていると公表することで、やはり誤解されることが多いんじゃないでしょうか?

高橋:意外とそうでもないですよ。とはいえ、ラヴェイ先生に倣って、誤解されてるときはその誤解を助長するような返事をしたいものだと思ってますけどね。「ええ、悪魔を毎晩拝んでます」とか(注:サタニズムでいうところのサタンは自分自身を象徴するもので、外的な、あるいは霊的な存在は一切認めていません)。「子供を生贄にするんですか?」と聞かれたら「毎晩食ってます!」と言いたいところです。だってそう言った方が面白いですもんね。ちなみにサタニズムでは子供を大変かわいがることになっているのですが、それは子供の方が獣に近いからです(笑)。実際に子供を虐待してるのはカトリックの変態神父たちですよね!

――そうですか(笑)。ちなみに、もしサタニズムについて興味を持ったとして、その世界の一端に触れたいと思った時に、入り口になるような書籍や映画の作品があれば、教えていただきたいんですが……。

高橋:そうですね、チャーチ・オブ・サタンが関わった映画はいくつかあって、劇映画だと『魔鬼雨』(注:これにはラヴェイ先生も出演しています)なんかが有名ですが、基本的に冗談でやっているので『魔鬼雨』の描写を本当だと思ってはいけません。ドキュメンタリーでは『サタニス:悪魔のミサ』という、チャーチ・オブ・サタンのミサの儀式を収めた映画もありますが、これもわざとおどろおどろしいイメージで作っているので(笑)、観たからといってあまり参考にはならないかもしれません。

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なので、サタニズムについてはやっぱり『サタニック・バイブル』を読むのが一番です。ただ残念なことに邦訳がないので、機会があればなんとか出版したいと思っています。あと日本語の書籍ではブランチ・バートンという、現在チャーチ・オブ・サタンの代表でもある人が書いた『悪魔教』という本が邦訳されているので、それを読んでいただければ大体の感じはわかると思います

――高橋さんはメルマガを通じて、そういうサタニズムの教えについて、布教とまではいかないですけど、ちょっとは伝えたいといった思いはあるんでしょうか?

高橋:それは少しありますね。ぼくは「例外なしに宗教はすべてくだらない」と思っていますが、そういう考えを少しでもお伝えできたらという気持ちはあります。これは個人的に気をつけていることなんですが、たとえばぼくは「敬虔な」という言葉を使わないようにしています。それは絶対「狂信的な」といいます。理屈に合わない、おかしなことを一生懸命理性をねじ伏せて信じている人間は狂信的と呼ぶしかないからです。

宗教はこれまで人類の進歩の足をさんざん引っ張ってきたので、そのせいで1000年か、ことによるともっと長い年月を無駄にさせられた、という気持ちもあります。歴史に「もし」はありませんが、もし宗教が存在せず、宗教のために浪費した時間と労力を自然科学の分野に投入できていたら……今頃は恒星間旅行だって夢ではなかったかもしれません。

あと宗教はなぜかアンタッチャブルなものだ、ということになっているのもどうかと思います。なぜ宗教法人は税金を払わなくていいのかまったく理解できないです(注:チャーチ・オブ・サタンは宗教法人ではないのでちゃんと税金を収めているそうです)。そしてなぜ宗教者と呼ばれる人たちは、無条件に人生の専門家みたいな顔をしていられるのだろうかとか、そういうことはよく考えます。教会や修道院や寺でくすぶってた人たちの意見が傾聴に値するとはとても思えませんが、世間的には坊さんや神父の説教は何かしらの価値を持つかのように思われている。不思議ですよね。

何より、宗教が原因で起こる争いごとや戦争、というものがなくなったらどんなにいいことか、早くそういう時代になってほしいとは強く思います。ありもしないもののために殺し合うなどということはあってはならないことだと思う。そして実際、非常にゆっくりとではありますが、世界はそういう方向に向かっていると思います。

とはいえ、そういう大きな流れに対するバックラッシュは当然あるわけで、アメリカの聖書根本主義であるとか、イスラム原理主義などはそういう文脈でとらえることもできるのではないかと思っています。世界観が大きく変わり、自分たちの世界が狭くなってきたことに対する「異議申し立て」なんじゃないかと。ただ、たとえバックラッシュだったとしても、狂信的な人間は常識はずれの行動を起こしかねない(し、実際に起こしている)ので、まったく余談を許さないというか、楽観視できるような状況ではないと思いますが。

――なるほど。そういう既存の宗教に対するカウンター的なものとして、サタニズムに触れるということは、すごく有益であると。

高橋:まあそうなんですが、こんな話してていいのかなあ、なんか話せば話すほどメルマガから読者のみなさんが離れて行きそうで怖いんですけど(笑)。

●「役に立たない」ものにある面白さ

――さて、2016年の6月に創刊されたメルマガ『高橋ヨシキのクレイジー・カルチャー・ガイド! 』ですが、そもそも配信を始めようと思われたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

高橋:本当に正直に言うと「お金になるといいな」と思って始めました。実は以前、知り合いのジャンクハンター吉田という、やはりまぐまぐ!さんでメルマガをやっている男に「メルマガをやったらどう?」と勧められていたんですが、そのときは忙しくてすぐに始めなかったんです。しかしその後、税金とか保険料でかなり辛い思いをしまして(笑)、そのときに思い出したのがメルマガだったというわけです。ここまで正直に言うべきではなかったかもしれないけど……。

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もうひとつ、こちらも大事な動機なんですが、いまは雑誌など紙媒体にあまり余裕がなくなってきているということがあります。70年代とか80年代はエロ本なんかでもカルチャーページが異常に充実していたり、ということが結構あって、たとえば高杉弾さんのような人が色々と面白いことを書いたりしていました。景気の問題でもあるんでしょうが、今はそういう余裕が減ってきている気がします。ツール的に使えるランキングだとか、そういうものに押されてヘンテコリンなカルチャーに触れる機会が目減りしているんじゃないかと。

80年代ぐらいの頃は、たとえばSF映画雑誌がニューウェーブの音楽の特集を載せていたり、あるいはファッション誌にかなりディープな映画やお芝居の記事があったりといったように、専門誌であっても他ジャンルへの入り口がそこかしこに開いていた印象があります。今はどんどんそういったものがなくなってきています。端的に言って余裕がない感じです。インターネットがこれだけ発達したにも関わらず、猥雑でヘンテコな世界への道がどんどん狭くなっている感じといってもいいかもしれません。

だから「世の中にはまだまだヘンテコリンで面白いものがいっぱいあって楽しい!」ということを、メルマガで少しでも紹介できたらいいなと思っているところはあります。ぼく自身、そういうヘンテコリンなものをもっと見たいし、もっと知りたい。

――そういう動機で創刊されたメルマガですが、実際に始めてみてどうでしたか?

高橋:実際に始めてみて……そうですね、自分のスケジュール管理がヘタクソすぎる、ということを改めて思い知らされました(笑)。これは始める前から分かっていたことではあるんですが、もう毎週大変です。ヒーヒー言いながら書いてますよ!

ただ、なるべくボリュームを持たせるように、そこは気をつけています。もちろん一番大事なのは内容なんですが、たとえばうちのメルマガは毎月666円ですが、これって雑誌一冊分くらいの値段ですよね。そう考えたときに、あまりに少ない分量では申し訳ないと思うので、それなりのボリューム感をキープできるよう心がけています。……とはいうものの、発行日にどうしても記事が間に合わなくて号外でフォローしたりしていることについては大変心苦しく思っております! ほんとすみません!

――雑誌などに普段書かれている時と、メルマガに書かれている時とでは、どこか意識して変えていらっしゃる点などはありますか?

高橋:『映画秘宝』なんかは映画の専門誌なので、たとえばちょっと伝わりにくいかなと思っても「そこは申し訳ないけれど、もし分からなかったら自分で調べてください」とか「全部は説明しないけど、そこは汲んでもらいたい」という書き方をすることがあります。文字数に制限もあるし、それは仕方のないことです。でもメルマガの場合は、なるべく丁寧に詳しく書くようにしています。ヘンテコな話であればあるほどちゃんと分かってもらいたいし、さっき話したボリューム感にも繋がるので。

――ちょっと失礼な話になりますが、高橋さんといえば舌鋒鋭いところもあって、ちょっと近寄りがたい方なのかなってパブリックイメージが多分にあると思うんです。でも実際にメルマガの中身を見てみると、例えば読者の方からの質問などにも真摯に向き合って、すごく丁寧に答えていらっしゃって、そんな姿がすごく意外にも感じたんですが……。

高橋:パブリック・イメージが悪いと、普通にするだけで褒められるというあれかなあ。それはそれでズルい印象もありますが(笑)、でも猫をかぶっているとか、そういうことはないですよ。人格を使い分けたりできるほど器用ではないので、どこでも基本的には同じです。

ただ、若い時に比べたら丸くなったということは絶対にあります。まったく普通すぎて何の面白みもない話ですみません。若い時は、これまたありきたりで申し訳ないんですが「どうせ長生きなんてできない」と思ってたし、仕事もお金もないからイライラしっぱなしで常時「ファック、何もかも最低すぎる、ぶっ殺す」とか思ってたんですが、年齢を重ねるにつれて「ゲッ、思ったより死なないまま来てしまった! これはやり方を変えないと、それこそ収拾がつかなくなってしまう」と気づいたんですね。うわー、改めてこうやって話してみると本当にバカとしか言いようがないですね、お恥ずかしい。でもまあ若いときはみんなバカだからいいんです! 若いときから異常に利口なやつは嫌いです!

――Q&Aコーナーには、映画やカルチャーとはあまり関係がない、人生相談のような身につまされる質問も、毎回多く寄せられています。こういった状況というのは、メルマガを始める前から想定されてたんでしょうか?

高橋:ぼくは『映画秘宝』で読者コーナーを17年くらい担当しているんですが、そこでも映画のことばかりでなく、それこそ近況報告から人生相談みたいなことまで、いろんなハガキが寄せられるので、まあ何が来てもおかしくはないだろうなとは思っていました。というか、いろんなメッセージが来るといいなと思ってました。

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ただ一般論として、やっぱり一人っきりで煮詰まっている状態というのは良くないと思うんですよ。そう思ったときに、ぼくのメルマガなんかにわざわざ相談事を送って来てくれる人というのは、よっぽどいろいろ大変な状況なんじゃないかと想像するわけです。

ぼくはカウンセラーでもなんでもないので、そうやって寄せていただいた問題を解決できるとは決して思っていません。ただ、自分の経験からいっても、煮詰まって、あるいは追い込まれている状況下では視野狭窄に陥りやすいことは分かっています。その状態が辛いということも分かる。だから、質問と回答という形であっても対話が生まれることで、そこに「あれ、ちょっと別の見方もあるかもしれない」くらいのことが伝わればいいなと思ってます。

あとメルマガは、これは始めてから分かったことですが、書き手と読者の距離がわりと近いメディアだと思うんですよね。読者のみなさんがどう思っているかは分かりませんが、ぼくはそう思っています。読者の人たちとは共犯関係にあるっていうか、「一緒に悪いことして遊んでる感じ」っていうか。そういう意識があるので、何か読者の人が困っていることがあって、それについて何かしら考えてお返事するということについては全然やぶさかではないというか、普通のことだと感じています。

――そういったパーソナルな質問も多く寄せられる中で、高橋さんが回答する際に気を付けていることは何でしょうか?

高橋:気をつけているのは、なるべくメッセージからわかる事実を元に話をするようにする、ということですかね。想像の上に想像を重ねたようなことは極力言わないようにしているつもりです。想像や憶測に基づいた話をされたら、相手も疑心暗鬼になってしまうのではないかと思うし。

現実社会でも、たとえば「あの人はこれこれこういうことをする人【かもしれない】から、自分は先回りしてこうしておこうと思う」というような人がいます。ぼくは駆け引きが苦手なせいもあると思いますが、そうやって「かもしれない」という想定に基づいて行動する、ということがよく分からなくて……中には「かもしれない」の上に「かもしれない」を重ねていく人もいますが、その作業を繰り返せば繰り返すほど事実からは離れていくわけですよね。それだったら分からないことについては一旦置いておいて、分かるところからまず考えていきたいし、その方が理にかなっていると思います。

――なるほど。結構そういうような感じで、問題をより悪化させているという方は、多いような気がしますね。

高橋:いっぱいいるんじゃないんですか。他人をまずジャンル分けして、「こういうジャンルの人はこういう風に考えているはずだ」とか、そういう感じで相手を「見抜いた」気持ちになりたがる人は結構いるように思います。でもそれって、その「ジャンル分け」の部分から既に全部想定というか妄想じゃないですか。全然事実と繋がりがない。妄想に基づいて他人をジャッジするような態度はとってもファックだと思いますね。

人間はもっとメチャクチャで複雑なもので、自分のことだって大してよく分からないのに、そういう想定を重ねる人たちはなぜあんなに自信満々なのかなあと思うこともあります。そうならないように自戒もしつつ、自分の分かる範囲の話をしたいものだと思っています。

――分かりました。では、メルマガの購読を検討されている方に向けて、最後にメッセージをお願いします。

高橋:そうですね、最近はずっと景気も悪いし、ニュースも気が滅入るようなものばかりで、もちろん気が滅入るからといって重要ではないと言いたいわけではないんですが、それはそれとして、世の中にはヘンテコリンで面白いこともまだまだ沢山あるぞ、とぼくは思っています。なのでメルマガでもそういうことを多少なりとも発信していければいいなと思っています。

たとえばカナダ人の映画マニアがもう20年くらい出しているミニコミで『シネマ下水道』というのがあるんですが、これは毎号全部手書きで文字やイラストやマンガがびっしりと書き込まれています。内容もポルノ映画からスナッフ映像まで幅広いんですが(あれ? 狭いのかな)、以前それを読んでいてたら突然「懸賞生活」に出てた「なすび」の特集がまるまる1ページあって腰を抜かしました。だってカナダのマニア向け映画ミニコミに「なすび」の記事があるとは思わないでしょう。なんでこんなの知ってるんだ!(笑) と思ったんですが、そういう雰囲気がメルマガで出せればいいなと思っています。

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それは駄菓子屋的な面白さというか、場末のカーニバル感と言ってもいいかもしれませんが、そういう風にちょっといかがわしくて、安っぽく、実生活の役には一切立たないんだけど、でも面白い……というようなものは結構たくさんあると思うんです。もちろん、世間的には評価されないんですが、それはそれで評価されなくて正解っていうか(笑)。

そういうヘンテコリンなものが「評価されなくてはいけない!」などとはこれっぽっちも思ってなくて、それよりも「こういうヘンテコなものがあってウケるんだけど」という話をする中で、多少なりともそういうものを面白いと思ってくれる人がいればいいかなと、そういう感じでやっていきたいです。

――最近は「絶対にこれは見るべし」といったような、断定調で語るような物言いって、よく見かけますよね。

高橋:別にいいじゃん、観なくたって(笑)、って思いますけどね。あ、そうだ、メルマガの理想形としては『魔太朗がくる!!』ってマンガに出てくる「怪奇や」というお店みたいなのがいいです。ホラー映画のお面とか、ドラキュラの歯とか、チューブ入りの血糊とか、そういういかがわしいものが並べてあるお店。そういうお店、本当はリアル店舗でやりたいなと思ったこともあるんですが、絶対採算がとれないと思うので、バーチャルにメルマガの形で「怪奇や」感を出していきたいです。

――なかなかそういうので採算を取ろういうのは、難しいそうですよね。

高橋:それは本当にそうなんですが、ただ「役に立つもの」っていうのは役に立ったらそれでおしまいじゃないですか。でも「役に立たないもの」はいつまでも楽しめる。機能を果たし終えることがないというか、そもそも機能がないから。

映画も含め、表現というものは「役に立つ」「立たない」で言ったら、間違いなく役には立ちません。ところが、映画にまで実用性を求める層というか、そういう人たちもいて、彼らは「ためになった」とか「泣けた」とか、その効能で映画を判断しようとするんですが、風邪薬じゃあるまいし、「熱が下がってよかった」みたいなことを映画なんかに大して求めるのはどうかと思います。「役に立たないよ、そんなの」と言いたい(笑)。「役に立たないけど、面白いんだぞ」って。

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高橋ヨシキさんプロフィール

デザイナー、ライター。チャーチ・オブ・サタン公認サタニスト。雑誌『映画秘宝』でアートディレクションを手がける傍らライターも務める。また『ヤッターマン』『悪魔のいけにえ』『ロード・オブ・セイラム』など、数多くの映画ポスター、DVDジャケットのデザインを担当。著書に映画評集『暗黒映画入門/悪魔が憐れむ歌』『暗黒映画評論/続・悪魔が憐れむ歌』(洋泉社)、実話怪談『異界ドキュメント/白昼の魔』『同・白昼の囚』『同・白昼の生贄』(竹書房文庫)、映画『アイアン・スカイ』ノベライズ版(竹書房文庫)、編著に『ショック! 残酷! 切株映画の世界』(洋泉社)など。

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