全盛期の狩野派を脅かした孤高の天才、長谷川等伯の波乱万丈人生とは

 

京都から江戸へ (70代)

関ヶ原の戦いが終わって天下人は徳川家康に変わり幕府は江戸に移されました。パトロンだった秀吉亡き後、等伯にとって不安な日々が続いたことでしょう。将来の長谷川派のことも考え等伯は一大決心をします。それは、一門を引き連れて江戸へ向かうことでした。30代で京都に出てきた時の決断以上に大きな決断でした。

既に70歳を越えています。引っ越しするだけでも大変な時代です。家財道具を背負って三条大橋から東海道を500キロ歩いて江戸に向かうのです。次男の宋宅(そうたく)と共に長谷川一門は江戸へ旅立ちます。しかし等伯は江戸に辿りついた2日後に72歳で亡くなりました

最後まで、希望を捨てず、夢を諦めない等伯の人生には共感します。常に上を向きさらなる高みを目指していた絵師の生き様は作品の随所に表れています。

等伯亡き後は長谷川派の後継者にふさわしい弟子は残念ながら出てこなかったようです。狩野派は永徳の子、光信によって再び力を盛り返し、探幽の時代に移り変わっていきます。

同時代には日本初のアートディレクターとも言われる本阿弥光悦も現れます。光悦は芸術村を開くための鷹峯の土地家康から与えられたほど才能のある琳派の祖です。

光悦と肩を並べ、もう1人の琳派の祖と言われている風神雷神図屏風を描いた俵屋宗達も活躍した時代です。相対的に長谷川派一門は力を失っていくことになってしまったのでしょう。

現在、京都では長谷川派の子孫が絵画に携わる仕事を続けているそうです。長谷川等伯のDNAは、今も京都で受け継がれているようです。

image by: Wikimedia Commons

 

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