どうした日銀? 今や日本人にも信じてもらえぬ歴代総裁の影響力

 

大蔵省日銀課

日銀は基本的におカネが不足している時は強かった。だんだん日本は高度成長するにつれおカネが余ってきて、金融機関もドンドンお金を貸せるようになると日銀は必ずしも強いとは言われなくなった。その為、高度成長期に「法王」と言われるような人はいなかった。どちらかというと大蔵省の方が強く、財政を集め景気を刺激していた。

そういう意味から日銀は「大蔵省日銀課」と大蔵省の中にある1つの課と言われるように、日銀の力も落ちていたということがあった。ただし79年に「オイルショック」が発生した際に総裁の力量を発揮したのが前川春雄氏(79年~84年)。

マイクと愛された日銀総裁

前川氏の力は非常に強く、国際的にも名をあげた人物。オイルショックで日本経済が傾きインフレをどう乗り切っていくかが問われ、そこをどう乗り切るのかということが国際的にも注目され、その成果如何で日銀の存在感は無くなってしまう。前川氏は英語が流暢で、国際的な金融は「通貨マフィア」と呼ばれる通貨の専門家が集まる所で様々なことが決定するのだがその中でも「マイクのニックネームで愛されていた

国内でも人柄が明るく愛され、前川氏の日銀総裁時代は内外から「名総裁」と言われた。特に国会審議中に公定歩合を引き上げた。現在も国会で予算の審議が行なわれているが、もし公定歩合を引き上げると国債の金利も変わることから予算数値を大幅に変更しなくてはならないのだが、このまま放置するとインフレになるというので実行し度胸もある人だった。

当時の大平総理直談判に行くのだが、日銀総裁の解任権は総理が持っているため前川氏は「懐に辞表を忍ばせて渡り合った」というエピソードもあり「胆力」もある人であった。日銀の苦しい時期にやるべきことをやったということで、今なお日銀内外で前川氏の評判は高い。

前川総裁以降の日銀

前川氏以降の日銀の力は落ちて来ており、先ほども述べた「大蔵省日銀課」と言われるようになってしまったことと、黒田氏は第1次はバズーカ、第2次が80兆円の国債発行の金融緩和、そして2月16日からのマイナス金利などいろいろやるが、第1次は成功するが第2次、第3次は必ずしもうまくいかず元に戻ったとも言われている。つまり今回の政策委員会の票が5対4となるなど統治力が上手くできていないのではないかと感じる。

世間から見ても日銀があのように揺れているのを見ると、日銀の政策はなんとなく信用できないというようにみている。だから一般の人も消費にはなかなかお金を回さない

日銀総裁人事にも変化

日銀の総裁人事にも変化が出て来ており、これまでは日銀出身者と大蔵省OBが交互に総裁を務める「たすき掛け人事」となっていたが、これではいけないと98年に日銀法を改正し独立性を重んじるようになった。このことは非常によいことだが、慎重な姿勢を取っており、黒田氏になって大胆な政策を取っているが時の政権主導のように思われ、現在は安倍首相の政策にすりよっているように見られる。しかしながらそれも成功はしていないというように見られてるというように思う。日銀が独自性を貫くということは国内だけではなく国際的なことも考えなくてはならず、今の時代なかなか大変なことだと思うし、日銀だけでもって全てを動かせるという時代ではなくなっており、難しい舵取りを黒田氏を今後ますますしていかなくてはならない。

(TBSラジオ「日本全国8時です」2月16日音源の要約です)

 

 

ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」
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