泣ける京都の桜物語。京で愛される桜に隠された5つの感動エピソード

 

容保(かたもり)桜 京都府庁旧本館

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image by:京都フリー写真素材

2010年に桜守で植藤造園の当代16代目の佐野藤右衛門さんが発見したヤマザクラです。花びらがやや大きく表皮は剥がれたような木肌をしているというオオシマザクラの特徴も持っています。ヤマザクラが変異した桜として調査した結果、ヤマザクラのとても珍しい品種であることが判明しました。

京都府庁旧本館は幕末、京都守護職として会津(福島)から来た会津藩主松平容保の上屋敷があった場所です。これにちなんで「容保桜」と名付けられました。新選組を組織した容保、花のように若くして散った新選組の命、幕府側につき新政府軍と戦った会津藩の悲劇などを見てきた桜です。府庁旧本館はレンガ造りの西洋建築で国の重要文化財で中庭には初代祇園しだれ桜の孫桜も咲き誇ります。

祇園しだれ桜について詳しくはこちらをご覧ください。

● 京都の桜を育てて100年、「桜守」佐野藤右衛門が勧める桜の名所

墨染桜 墨染寺

平安時代の歌人上野岑雄(かんつけのみねお)が、友人で初の関白となった藤原基経が亡くなったのを悼んで詠んだ歌があります。

「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」(古今和歌集)

桜の花に心があるならば、せめて今年は墨染色に咲いてほしいという仲の良かった友達を偲ぶ切々たる悲しみが伝わってきます。京うちわで有名な伏見深草周辺に墨染(すみぞめ)という地名があります。この歌を聞いた桜が薄墨色に咲いたためこの辺りを墨染と呼ぶようになったといいます。1,000年以上前からこの地は墨染と呼ばれていることになります。そして墨染(ぼくせん)という小さな寺の境内に墨染桜が今もひっそりと植わっています。謡曲や能でも取り上げられ、芸能関係者が多く訪れました。

墨染桜は開花当初は、実際は白い色をしていますが見ようによっては薄墨色に見えるというのがいわれです。開花はソメイヨシノより1週間ほど遅く、満開になるとピンク色に咲きます。この歌を胸に刻み墨染寺に花見に行くと特別な感動が得られるはずです。

関雪(かんせつ)桜 哲学の道

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image by:京都フリー写真素材

琵琶湖疏水沿いの散策路である哲学の道の両脇に咲くソメイヨシノは「関雪」と呼ばれています。明治の巨匠で日本画家橋本関雪のことです。関雪は神戸に生まれ、東京で絵画の修業をした後、京都で竹内栖鳳(せいほう)に師事し画家として大成します。京都では晩年銀閣寺に近いアトリエ兼住居「白沙村荘(はくさそんそう)」で過ごしました。

京都に来た数年間は食べていけるのもままならいような画家とても苦労しました。一膳のご飯を妻と分けて食べるほど貧しかったといいます。大成してからは宝塚、大津、中国の上海などにも別荘を買うほどの建築マニアでした。欧州外遊の時は当時知り合ったドイツ人の女性を連れて帰ってきたりとやりたい放題だったエピソードも残っています。京都では夜な夜な毎晩のように祇園に通い芸者遊びに興じていたといいます。

妻ヨネは関雪を貧しい時から支えたのは多くの京都の人達の温かな援助だったとその恩を忘れませんでした。関雪が大枚をはたいて建築物を買ったり毎晩のように祇園で散在している間もヨネは倹約に努めました。そして、ヨネの発案で貧しい時良くしてくれた京都の人のためにと大正10年に桜の苗360本を京都市に寄贈します。哲学の道に咲く桜には文人のサクセスストーリーと心温まる夫婦愛なくしては存在しないものだったのです。

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