日本サッカーリーグ時代、秋春制を実施したことがある。
1985年度からの7シーズンだったと記憶している。
当時、僕は読売クラブ(現東京ヴェルディ)の運営委員として、試合運営に携わっていた。
その時には、それほどの混乱はなかった。
その理由は簡単だ。
寒冷地にはチームがなかったためだ。
最北のチームは住友金属(現鹿島アントラーズ)だった。
関東地方の方は理解できると思うが、茨城県の寒風は厳しいものがあるが、積雪となると、然程のものではない。
そうした条件が整っていたからこそ、秋春制を採用できたのだ。
積雪といえば、僕はこんな体験をした。
国立競技場での読売クラブ対日産自動車(現横浜F・マリノス)の試合が、降雪によって延期となったのだ。
その後は除雪作業が待っていた。
読売クラブの運営委員として、僕は除雪作業の指揮を執るため、3日間自宅に帰れずホテル暮らしとなった。
除雪作業といっても、それはピッチだけに留まらないのだ。
座席、コンコースなども除雪し、お客様の安全を図らなければならない。
苦労の末、開催された試合の観客数は4000人程度だったと記憶している。
当初予定されていた観客数は50000人だったため、僕は少々落ち込んだことを覚えている。
話を戻すと、降雪地帯のクラブにとっては、冬の間はホームゲームが開催できないということになる。
練習だってままならないだろう。
一部では、冬の間は寒冷地のクラブはアウェイゲームを中心にすることで乗り切るという「アイデア」もあるようだが、これは論外だ。
サッカーにおける「ホーム&アウェイ」という基本を忘れてはいけない。
さらにアウェイゲームが続くということは、日常的に行われているファンとの交流も薄れるということなのだ。
プロの試合においては、常にお客様の目線を忘れてはいけない。
本当のファンが望んでいる改革ならば、どんな苦労をしても成し遂げるべきだろう。
しかし、ファンが望んでいない改革は、単なる独りよがりと呼ばれ、やがては支持を失っていく。
Jリーグ誕生に関わった人間の一人として、そんなことだけはして欲しくない。