「挨拶されたら逃げろ」と教える親から透けて見えた「国の思惑」

 

穿った見方をすると、大きな目的に「監視社会にしたいという国の思惑があり、「他人を見たら疑え」という考えを自然と植えつけ、そういう思惑に、「マンションに住んでいる小学生の親御さん」は乗っかってしまい、「あいさつをされたら逃げるように子どもに教えているから、マンション内ではあいさつしないように決めてください」ということを言ったのでは?

例えば、マンションや住んでいる街であいさつが消えたら、住民の関係はとてもギスギスしたものになるのは明らかです。あいさつが、隣人や他人を知る第一歩ですが、それがなくなれば知ることなどできません。少しでも隣人や他人が、自分にとって「怪しげ」と思われる行為行動を行えば、警戒して、様子を伺います。要するに監視するのです。それを住民同士にさせる、という環境を作りたい…、戦時中と同じ環境をつくろうという、これが国の思惑ではないか?

そんな環境が作られてしまうと、警察に通報される、取り調べられる、そしてその取り調べの中で、国に政府に政権に「異を唱える」人だと特定されれば、その先には…、「逮捕」もある?

引用した神戸新聞の投書のような、何か不自然な主張があった場合、そのこと自体にすぐさま反応するのではなく、その奥にある背景や理由を考えてみる本質を探ってみる、そういう行動を我々はとっていきたいものです。

先日は、私の住んでいる地域の自治会の秋祭りが行われました。私は毎年、会場設営や備品搬送担当として、秋祭りの裏方の仕事をしています。この裏方の仕事には、毎年同じ顔触れが集まり、この秋祭りの時だけのみお会いする方もいたりします。そんな方々とも親しく話ができる、それがある意味「あいさつ」だと思います。しかし、あいさつが消えてしまったら、秋祭りなんて成り立たなくなってしまうかもしれないですね。

image by: Twitter

 

日刊! “信頼の社労士”が思う、「仕事の本質」
現在、仕事の本質を考えず、目先の“楽な”方へ流れてしまう会社が多く存在します。“信頼の社労士”が、自身のサラリーマンとしての経験、社労士としての経験を通じて、「仕事の本質」とは何か!を毎日(日刊)伝えていきます。
<<登録はこちら>>

print
いま読まれてます

  • 「挨拶されたら逃げろ」と教える親から透けて見えた「国の思惑」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け