【書評】オレ流・落合を完全サポート。森繁和に学ぶ二番手の品格

 

監督という立場は、どうしても最終責任者として、選手起用に口を挟みたくなり、うまくいくとコーチや選手の手柄を横取りして自分の采配がうまくいったと口にしてしまい、コーチに権限を与えて成功してもそのコーチを疎んじてしまうものだ。しかし、落合監督は全てをコーチに任せ、「責任はオレが取るから迷わずに思い切り自分の思った通りにやれ」と常に言ってくれていた。

森コーチは8年間、迷ったり悩んだりした上で決断してその内容を落合監督に報告すると、ほとんどの答えは「いいんじゃないの」であり、8年間で一度も、意見が食い違ったことがない。監督から「ピッチャー交代しろ!」と言われたり、「次、誰で行きます」と森氏が言った時に監督に「いや、こうしてくれ」と言われたことも8年間でいっさいなかった。

森コーチは、監督にそう悩ませないように先回りして投手を準備するよう心がけたし、「今日はこうなった時にはこれは用意してます」「延長用にこいつを入れて準備させておきます」と事前に伝えておくようにした。

また、余計なことを監督の耳に入れない、ということを強く意識した。監督にはチーム全体を眺め、じっくり先のことを考えて、試合に集中してもらいたい。だから、コーチ陣で解決できることをいちいち耳に入れる必要はなく、必要に応じて事後報告すればいい、と考えた。

後に森繁和氏はヘッドコーチも務めたが、移動日の練習は森コーチが現場監督となって全てを見るようにして、落合監督には自宅や宿舎で休んでもらうようにした。監督がずっといれば選手もコーチも先に引き上げにくくてずっといることになるし、選手が自分でちょっと考えればいいような余計な話題も監督の耳に入れてしまうことになる。

トップの右腕として好き勝手にやらせてもらえると、時には落合監督をカゲで動かしているような快感を覚えたこともあるが、落合監督はそういう性格を見抜いて森氏をうまく操縦していた、と森氏は語る。

このように、落合監督の優れたマネジメント能力とそれを右腕として支える森コーチの参謀力で、中日ドラゴンズは1年目からリーグ優勝を果たし、落合監督時代の8年間で4回のリーグ優勝、1度の日本一を獲得するに至った。

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