最強の陰陽師・安倍晴明を祀る京都のパワスポ「晴明神社」のご利益

 

晴明神社

晴明亡き後、邸宅があった場所に晴明神社が建てられました。今でも「魔除け」「厄除けの神社として人気があります。近年は晴明を主人公としたマンガや映画などのブームによりパワースポットとしても注目を集めています。そのため比較的若い方人が参拝に来ています。修学旅行生などがグループで来ているのを見かけたこともあります。

晴明神社ホームページ

1005年、晴明が亡くなると、一条天皇はその偉業を讃え、1007年に晴明を祀る社を創建しました。当時は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売(なかだちうり)という広大な敷地を誇っていたと伝えられています。

戦国時代の秀吉による都市整備や度重なる戦火などによって縮小され、衰退した時期もありました。しかし、江戸末期の式年祭以降、氏子が中心となって復興が進められました。昭和になってからは現在地の堀川通りに面して境内が拡張されました。

晴明神社から南へ100mほどのところに、堀川に架けられた一条戻り橋があります。漢学者・三好清行の葬儀の列がここを通りかかった際に、一瞬生き返ったという伝説がこの橋の名前の由来です。

嫁入り前の女性は嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から、京都ではこの橋に近づかないという習慣があります。また、太平洋戦争中に兵役を召集された男子とその家族が無事に戦争から戻ってくるようにとこの橋を渡り願ったと言います。晴明神社の境内にはこの橋のミニチュアが置かれ、欄干の柱は平成7年に掛け替えられる以前のものが使われています。

豊臣秀吉が京都の大邸宅・聚楽第を建てた頃、この辺りには千利休の屋敷があったようです。利休は、秀吉の怒りを買い、切腹を命じられていますが、この地で切腹させられ、一条戻り橋で首をさらされたのです。

晴明神社の境内には五芒星(晴明紋)が描かれた井戸があります。五芒星は桔梗の花に似ていることから別名、桔梗門と呼ばれています。夏の季節には境内にも色鮮やかな桔梗の花が咲いています。

この井戸は晴明が霊力によって湧き出すようになり、「晴明水」と呼ばれ無病息災にご利益があると伝えられています。この地に居を構えていた利休もこの水を茶の湯として用い、秀吉もその茶を愛飲していたといいます。

境内には「厄除桃」が置いてあります。古来、陰陽道では、桃は魔除け厄除けの果物といわれてきました。参拝者は自分の厄をこの桃に撫で付けて厄を除くというものです。「桃太郎」もこれに由来するものです。鬼を退治出来たのも桃から生まれた彼だったからこそ成しえたことでした。柿やリンゴなど他の果物から生まれていたら鬼に殺されてしまっていたでしょう(笑)。

アクセス

JR京都駅、阪急四条河原町駅、地下鉄四条駅からバスで「一条戻り橋・晴明神社前」下車
又は、京阪三条駅からバスで「堀川今出川」下車

堀川今出川の交差点を少し下がって西に入ったところです。交差点の角にある西陣織会館のすぐ近くです。

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