表すのは季節の移ろい。京都流もてなしの結晶「和菓子」を嗜む

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和菓子屋さんの店先で、「御菓子司」という文字を見かけることがありますよね。その意味、ご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者・英学(はなぶさ がく)さんが、京都で和菓子を売るお店の「種類」とその違い、さらに「御菓子司」について詳しく解説しています。

和菓子の歴史

京都に和菓子を売るお店には「菓子屋」(おかしや)と「饅頭屋」(おまんや)と「餅屋」(おもちや)の3つがあります。

「菓子屋」は「御菓子司」(おんかしつかさ)といい、「もてなしの菓子を作るのが専門です。「御饅頭屋」は庶民のおやつ」を、「餅屋」は京で赤飯や神仏へのお供え用のお餅を扱っているお店です。

このように京都には和菓子屋さんと言ってもそれぞれの成り立ちが違い、長い文化と歴史があります。この区別は今は京都でも知らない人が多くなってきたと思いますが、京菓子を理解する上で大切なことです。

「御菓子司」

お菓子といえばおやつをイメージする人が多いと思います。ちなみに京都では小腹が空いた時に食べるおやつを「虫やしない」と言います。これは、腹の虫を養うことから由来しています。「菓子屋」の作る菓子は、お腹の足しになるおやつとは違います。またおやつは戦国時代ぐらいまでは甘いものはあまりなかったようです。日本人が甘いお菓子を食べるようになったのは、南蛮文化が日本に入って来た頃と伝わります。

金平糖やカステラなど砂糖を使った甘いお菓子を食べる文化はこの時代まで一般的ではありませんでした。それまではお茶の世界でも、柿や栗などの木の実や天然の果実、または餅に味噌を塗った餅などでした。当時は砂糖はかなり高価なもので、誰もが食べられるものではなかったのです。お菓子を食べることができた人は相当なステイタスがあったということです。お菓子は本来、貴族的など上流階級の食べ物だったのです。自らが買い求めて食べるものではなく、人に食べて頂くことで相手を思う気持ちを伝えようとしたものでした。御菓子はまさに「おもてなし」の象徴のようなものだったということでしょう。

さて、京都のお菓子屋でよく「京菓子司」と頭に書いてあるのを見ます。「司」とは朝廷から位をもらい専属で御用をするという意味です。これは江戸時代以降京都で続いた上菓子(じょうがし)屋仲間という組合制度からきた身分でした。当時上菓子屋仲間は248軒と数が限られていて、御菓子司しか白砂糖を使うことを許されなかったのです。

現在京都にある御菓子司はその時代から代々伝統を守ってきたお店です。京都でお菓子を支えてきたのは、茶道家、天皇を中心とする皇族や寺社仏閣などの特権階級などです。

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