中国は破壊し、日本は共生を選んだ。日本人が台湾に残した鉄道秘話

 

台湾で人気の鉄道といえば、世界三大登山鉄道として有名な阿里山鉄道があります。戦前から阿里山は、日本の技師・小笠原冨二郎が発見した樹齢3,000年のタイワンヒノキが有名で、神木とされてきましたが、戦後はあまりに観光客が多いため腐敗が進み、1998年に切り倒され、現在は二代目の神木になっています。

阿里山鉄道は、日本統治時代に活躍した河合鈰太郎(1865~1931)という人物の貢献によってできたものでした。

日本領台初期、日本は「地球最後の秘境」でもあった台湾の自然、民族、風習などを探検・調査していきました。その結果、台湾の地勢、地貌、自然と社会の姿が、次第に明らかにされていきました。

この時期の日本軍人や学者らの台湾探検・調査は、台湾のみならず、東アジアと東南アジアの自然と社会を研修するための基礎となり、その後、近代産業を育むための資料として多大な歴史的貢献を果たしています。たとえば、シロアリなどの害虫研究が成功しただけで、産業が数倍にも成長。こうした実例は非常にたくさんあります。

そのひとつが森林研究だったわけです。阿里山の原始林には多くの巨木が存在し、檜の宝庫でもあることは知られていましたが、木材搬出の方法が見つからず手つかずのままにしてありました。ちょうどそんな時、ドイツに留学していた河合鈰太郎と、外遊中の後藤新平が出会います。そのとき河合は、後藤に台湾の森林開発についての献策を語りました。

これを機に、河合博士は帰国後の明治36(1903)年、後藤に請われて台湾林業行政に参画することとなり、阿里山の実地調査に乗りだしたのです。阿里山森林資源開発のために河合がまず検討したのが、山岳鉄道の利用でした。河合鈰太郎は、林学者、ことに森林利用学に精通した人物です。東京帝大農学科を卒業後、林学博士号を取得。ドイツとオーストリアに留学、森林利用学を学び、後の日本森林利用学の権威となりました。

帰国後の河合は、東京帝大農学科の教授も務めるとともに、台湾総督府民政長官であった後藤新平に招かれ、渡台した際に阿里山の森林鉄道敷設に尽力したのです。

河合の学問的関心は広く、漢学と独語が堪能で、文才もあり、晩年になってからは哲学も研究しました。専門分野の林学では第一人者で、山林史にも興味を持っており、『測量学』『木材識別法』などの著書があります。

彼は、日本産主要広葉樹の肉眼識別法、木材強度および物理的性質の研究をはじめ、森林開発・利用に新境地を開きました。

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