体罰を黙認するのは後進国。恐ろしかった「昭和の鬼教師」列伝

 

仮に、誰かに今、「10歳の男の子の顔面を感覚がなくなるまでビンタしろ」と言われても、普通はできません。普通出来ないということは、連中は普通じゃなかった。 たぶん、バカだったのだと思います。 今、冷静に考えても、あまり深いところまで思慮した指導ではなく、あきらかにストレス発散に10歳くらいの児童を利用していた。 あるいは、当時の田舎の「医者と学校のセンセは絶対!」という君主感に無意識に酔っていた気もします。

だからといって。

恨んでいるか。

いや、恨んでいない。

誤解しないでください。 前述の人情派タレントのように「愛があるから感謝してる」なんて言うつもりもありません(だって「愛」なんて絶対ないしw)。感謝なんてこれっぽっちもしてない(笑)

でも「あの体罰があったから今の自分がある」というポイントに関してはほんの少しだけ賛成せずにはいられない部分もあります。

もう1回、しつこく言うなら僕は「体罰反対派」ですよ。 ここはちゃんと誤解されないよう、何度も念を押すけど(笑)。

当時の鬼教官が懐かしい、またあの鉄拳を喰らいたい、、、、なんて微塵も思ってない。

でも、今でいうなら「過酷なサバイバルゲームを生き抜いた変な優越感みたいなものもある。 同窓会で集まったみんなそう言います。 笑いながら酒の肴(さかな)にする強さが同級生のメンバー、みんなの特徴です。

決して、体罰は美化しない

絶対ない方がいい

でも、刑事や民事の事件になってない程度であれば、 今ところ無事で生きているならば(頭の形は今も変形してるけど)、笑える思い出話にする強さを持っていたい、とは思います。

重症で病院に運ばれる。ストレスが引き金で精神的な疾患を抱える。その危険性がある限り、絶対、体罰は許せない。

これから先、体罰はこの世から消えた方がいい、と心より思います。

でも、過去は変えられず、過去に体罰を受けた事実があるなら、そして今、無事であれば、もう何十年前のことに恨みつらみは言わないほうがいい

恨んでない代わりに、笑いのネタにしてやりたい。 幸い、僕個人は、体罰の思い出はシリアスなドラマというよりコメディ映画になっています。

もし何十年ぶりに例の先生方にお会いするなら、「あの頃の体罰のおかげで今があります、ありがとうございます」とは言えない。「おたく責任とってもらえますか、でないと民事訴訟起こしますよ」とも言わない。ただ「ジジい、生きてたのか、このやろう(笑)。8回分を1回でいいからビンタさせて(ハート)」とお互い笑い合いたい。

(※もちろん、くどいようですが、体罰を強さに変換できた稀なケースだと自覚しています。 従来は取り返しのつかないケースにもなりうるので、このコラムで体罰を肯定しているように見えたなら、それはあくまで誤解であるということをここに強調しておきます)

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