体罰を黙認するのは後進国。恐ろしかった「昭和の鬼教師」列伝

 

…と、ここまで話したのは、あくまで僕個人が体罰絶対反対派」ということを強調したかったからです。

しつこく、もう1回いうと、僕は、もちろん「体罰反対派」です。 そこをまずキッチリ抑えたい。

で、僕が小学校の頃は、体罰だらけでした(笑)。普通に先生にグーで殴られて、親が、殴った先生にありがとうございます、ご迷惑かけました、とお礼と謝罪する、ギリギリ最後の世代かと思います。

とにかく毎日のように殴られました

鼻をグーパンチされ鼻血が吹き出したこともあります。8連発往復ビンタをされ顔が膨れ上がったこともあります。6発目以降は痛みもなく、ただ熱い感覚で首が左右に振り回されました。当時小学校5年生。相手は血気盛んな新任の23〜24歳の男性教師。真冬にほうきの柄で、半ズボンから出ている膝を殴打され腿がミミズ腫れになる日も珍しくありませんでした。野球部のコーチにはほぼ毎日ケツバット(お尻をバットで殴打)され翌日、授業中椅子に座れない日も1回や2回ではありませんでした。頭部をバットの柄で叩きつけられ頭の形が変形し、その名残は40年経った今もあります。

毎日が修羅場でした。ここに書いていることは大げさでなく、むしろ毎日すぎて、その多くを忘れてしまっています(笑)。

あ!そうだ、それこそ、熱中症で倒れたこともあります。鼓笛隊で当時、体の大きかった僕は、音感、音楽センス云々に関係なく、「でかい」という理由だけで大太鼓のパートをやらされました。 小太鼓に比べ大太鼓は全身で掲げます。日中のクラス指導。とにかく大太鼓を基本、体の前面に掲げたままで、先生が違うパート、縦笛や、小太鼓の稽古中も、大太鼓を地面に置いてはいけません(あれって今考えたらなんでなんだろう。全然意味ないよな・笑)。たぶん、30度以上は確実にあったと思います。 意識が遠のき保健室に運ばれました。 当時はまだ「熱中症」なんて言葉も市民権を得てなく(というか「体罰」という言葉自体メジャーではなかったし)、結構、危険な領域だったと思います。

でも倒れたという事実以上に、幼心にショックだったのは、練習中、教頭先生が途中、僕のところにきて「他の生徒の指導中は(太鼓を)地面に置いていいから」と優しく言ってくれ、その言葉に甘えて地面に置くと、向かいの校舎の3階から、運動場にいる鼓笛隊の全体シュミレーションを観察していた強面の鬼教師が大声で生徒全員に聞こえるように「よしあきっ!お前、誰が太鼓、下に置いてええゆうたんならぁ!!! コラぁ!!!」と大声で怒られた時のことでした。 当の教頭にももちろん聞こえています。 でも、完全に「知らん顔」されました。 結構ショックでした。

熱中症事件も含め、鼻血も、ミミズ腫れも、頭の形が変形したことも、今だと立派なスポーツ新聞ワイドショーネタです(笑)。

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