観月の楽しみ方
平安時代の貴族たちは月を直接見ることはしなかったようです。あくまでも池の水面に映る月を眺めるのが風流だそうです。これこそが雅(みやび)だとされていたのです。
特に天皇は、その身分ゆえ自分よりも上を見て月を見上げるということはなかったようです。神とされていた立場だったので、人前ではそのように振る舞うよりなかったのかも知れません。このような理由から天皇が月を楽しむためには、水は欠かせないものだったのです。
大沢池に龍頭がついた舟を浮かべ、水面に映る月を眺め、管弦の類を奏で、宴を楽しんだことでしょう。また、杯に月を映したり、ナスやキュウリに穴を開けて月を見ることもしたようです。まさに貴族的な優雅で風流な遊びだったのです。
毎年、大覚寺では中秋の名月の日の前後に3日間「観月の夕べ」が開かれています。1,000年以上前に貴族たちが見ていた同じ光景を愛でることが出来ます。私は月を愛でることよりも、1,000年以上前に生きた都人と同じ景色を見ていることに感激しました。美しい月の光は、1,200年前も今も都を照らし続けているのだと思うと感慨深いものがあります。
月と日本人
日本では明治時代まで太陰暦が使われていたので、月は馴染みの深いものでした。月の美しさは日本人の美意識に合うのでしょう。また満ち欠けをする月の姿がわびさびなど禅仏教の無常観にもしっくりくるのかも知れません。
月見の名所は、桂に由来するものがあります。嵐山には桂川に渡月橋という橋がかかっています。桂離宮は月を見るためにデザインされている建物があります。竹で造られた月見台は月の光がさすと幻想的な風景を醸し出すそうです。京都には日本人の月に寄せる思いと美意識がうかがえる場所や装置のようなものがあります。
桂は一説によると永遠の命の象徴でもあります。万葉集など和歌の世界では、桂はそのような意味で数多く詠われてきました。遠くから眺めることはできても、決して手に入らないものの例えとして詠まれたものもあるようです。
京都を訪れるようになって月は日本人の美学を感じさせてくれる存在だということに気づきました。
「月も雲間なきは嫌にて候」
真ん丸で光り輝く照る月よりも、雲の間から見える月こそ美しいという感性を表しています。雲で隠れてしまって見えない部分は心の豊かさで補うという美意識が感じられます。これこそが日本庭園などに用いられる「見立て」の技法であり、日本人独特の美学だと思います。満ち欠け、雲間に出入りする様など完全と不完全な姿を露わにする様が日本人の心に響くのでしょう。
いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
image by: Shutterstock.com