「気前の良い社会」
【東京】はいつも見開きの「こちら特報部」が13面だけの1ページになり、「有権者に聞く 1票に託したあなたの近未来」と題して、投票を終えた有権者11人に話を聞いている。ここで取り上げるのは、その欄の左側に配された定番の「本音のコラム」。今日は看護師の宮子あずさ氏執筆。
タイトルは「気前の良い社会」。宮子氏は、東京18区で菅直人氏を支援し、街宣からビラ折りなどの作業にも参加した人らしい。そして選挙中、「リベラル」とは何かと考え続けていたという。「一般にリベラルは、個人と自由を重んじ、保守は集団と統制を重んじるイメージ。しかし、富の分配や反差別の法規制をリベラルが求める場合もあり、定義は難しい」という。宮子さんが一番「腑に落ちた」のは、リベラルという英語が示す「気前の良い」という意味で、宮古氏は「人それぞれの違いが認められ、ありのままのその人が尊重される社会。自由は大事だが、それ以上に人権と平等に、私は重きを置いている」としている。
uttiiの眼
ある人が自分のカネに関して「リベラルである」というのは、確かに、「気前よく金を出す」という意味になるようだ。その他に「たくさんの」とか「豊富な」という使い方もあるので、要は、「制限しない」、「ケチケチしない」という意味だろう。他人の行動や考え方に対しては、「寛大」ということにもなる。ただ、これらはみな、「自由主義者」と批判的に言うときの使い方にも通底していて、この「自由」は「ルーズ」に近い印象。だから、「気前が良い」という言葉でリベラルを枠付けるのはどうだろうか。
よく、リベラルは途中で意味が転換したと言われるけれど、それは、規制のない勝手し放題の状態では、多くの人々の自由が逆に侵害されるということが自覚され、規制を通じて人権と平等が守ることがリベラルな価値に合致するということが分かったからだろう。だから、「自由は大事だが、それ以上に人権と平等に、私は重きを置いている」と仰る宮子氏は、間違いなくリベラルな人と言って良いのだと思う。
あとがき
以上、いかがでしたでしょうか。
特別体制でページ数が少ない中、選挙に関して、ホンの少しでもユニークな内容をご紹介しようと努力してみました。うまくいったかどうかは自信がありません。ご感想などいただければ幸いです。
というわけで、選挙が終わり、また世の中は新しいフェーズに入ったようです。
また明日!
image by: 自由民主党 - Home | Facebook