体罰に至る理由について
なぜ、教師は体罰に及んでしまうのでしょうか。以下のような理由が挙げられます。
- クラス運営は担任の責任で、クラスが荒れると力量がないとみなされる。したがって、指示に従わない児童生徒に注意を集中させることになる。
- 同じ指導をしているのに、素直に従う生徒が存在している一方で、指導に従わない、注意散漫や行動優先の子どもがいる。そのため、子どもに原因があると思いがちになる。
- 児童生徒に理解させるスキルを磨く方向ではなく、排除の理論に向かう。注意や指導が重なり、徐々にエスカレートしていく。
教師の大きな声やアクションは、一時、生徒を畏怖させ、行動を中止させます。しかし、生徒には「自分だけが怒られる」と認知されるだけで、大方は効果を有しないのです。
これらの行動に走りがちな根底には、「自分は正しい。自分は悪くない。変わらない子どもが悪い。自分はこのやり方で成功してきた」という教師側のごう慢さがあったりします。公立学校は1年間でリセットされる組織です。よほど優秀な上司がついて、軌道修正に当たらない限り、教師個人が反省したり、軌道修正されることはほぼない、と見ていいでしょう。
しかも、残念なことに、大きな事件になってしまっても、先生は、たいていは病休に入り逃げるのが常です。周囲の教員仲間も「たいへんだったね、運が悪かっただけ」と同情的です。
そこまで大きく報道されなくとも、小さな学級崩壊は日常的にあります。崩壊させた先生は、過去にも、別の学校で担任の時に崩壊させていることが多いのです。授業参観してみれば、一目瞭然です。「授業がわかりにくい」、「指示が明確でない」という特徴を持っている教師のクラスで学級崩壊が起きやすいのです。コミュニケーションが児童生徒側に理解されているかどうかではなく、いかにも自分本位なのです。
ここまで、仙台市や福井県池田町など、体罰や教師による指導により子供たちが自殺する事件が相次いでいること、教師が体罰などに走る根底には、「自分は正しい。自分は悪くない。変わらない子どもが悪い。自分はこのやり方で成功してきた。」という教師側のごう慢さがあるように感じる等と述べました。さらにもう少し掘り下げたいと思います。