京都の御朱印は、ちょっと違う。古都を往く、十六社朱印めぐり

 

新熊野神社(ご利益:健康長寿・お腹の神・病魔退散)

kyoto20180109-2image by: WikimediaCommons(Bittercup)

京都三熊野社のひとつです。「いまくまのじんじゃ」と読みます。平安時代、天皇家の中で熊野詣が流行りました。熊野詣は紀伊半島南部にある熊野三山の参拝でしたが、一度の参拝に莫大な時間やお金がかかりました。そのため熊野三山は京都に勧請され、京都三熊野社が建てられるようになったのです。

平安後期、後白河上皇が平清盛に熊野の神をここに勧請するよう命じました。清盛は、熊野から土砂材木等を運び社殿を造営し、神域に那智の浜の小石を敷き、熊野を再現したと伝えられています。創建は1160年で、境内の大クスノキは当時熊野より移植したもので、後白河上皇お手植といわれています。また室町時代に、観阿弥・世阿弥父子が足利三代将軍義満の面前で猿楽を演能した地としても有名です。

今宮神社(ご利益:健康長寿・良縁開運)

毎年4月第二日曜日に行われる京都三大奇祭の1つである「やすらい祭」が行われる事でも有名です。やすらい祭りは、春の桜の開花の頃に行う病鎮めの祭事です。

徳川綱吉の生母・桂昌院から崇敬を受け1694年に荒廃していた社殿の造営が行われました。今宮神社は「玉の輿の神様」言われています。西陣の八百屋の娘だった「お玉(後の桂昌院)」が将軍家光の側室となり豪華な輿に乗った事が「玉の輿」の語源になっています。

994年に船岡の上に創立され、疫病の神として信仰が厚い。「阿呆賢さん」と呼ばれる神占石は撫でて軽くなれば願いが叶うとされています。徳川五代将軍網吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で今も女性達の間で人気です。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け