親との同居の有無が子供の家事能力を左右しているとしたら、これはつまり、自分以外に家事が出来る人と同居しているというふうにも読めますよね。つまり、ビミョーな加減の甘えなんですよね。おそらく自分自身でも、自慢できることじゃないと解っているけど、実際には相手に頼って…頼り切ってしまう。相手が現実に押し切られるカタチでやってしまうと既成事実として「ま、いいよね。えへ」的に居直っちゃう。
ま、そのマズさは私に言われるまでもないことでしょうが、念のため更に傷口を抉っておきます。
この状態のマズさは、料理や家事全般を同居の親に頼っている以上、決して生活を繰り回す主体になれないということです。喫緊に差し迫った危機として、その同居している親が年老いて介護や入院ということになった場合、すなわち家事を担える主体でなくなったときに、突如として現れるわけです。家庭内に誰も家事を担える人がいなくなるのですから、トーゼンの帰結です。
料理にしても片付けにしても、ある程度はできなくちゃ、生きていけません。家事を担える主体になるということは、とどのつまりは生活の場面で他者に頼らず自分独りで生きていけるということだからです。
は? お金持ちは家事なんか出来ない? ……(*゜∀゜*)そりゃ、全部外注するっていう手もあるにはありますが、長い不況と低水準の賃金、格差社会にもかかわらず、フツーの家庭で全外注を選択するのは、経済観念的にモンダイがあるんじゃないかと思うんですよ。あ、お財布的にもモンダイがあるか。
なので、ここで料理のできない中高年ジョシ以外の方にも、ちょっと自分を振り返ってほしいんです。あなたは家事の主体になるための努力をなにかしているでしょうか。あなたが出来ない家事はなんでしょうか。
- 毎日料理を作ること?
- 玄関をある程度キレイにしておくこと?
- 下着やタオルを洗濯してたたむこと?
- 毎月の食費をそこそこの金額に抑えること?
- 子供の勉強をみてやること?
- 日用品のストックを管理すること?
- 地域の催し物に参加すること?
- 近くに住む義理両親に愛想あいさつをすること?
…こうしたことは、全部家事担当者がやっていることなんです。カンペキに出来る必要はなくても、全く出来ないのはモンダイなモノばかりです。