目を覆いたくなる報道番組を見て判る、いじめがなくならない理由

shutterstock_173796380
 

人間は弱い生き物です。悲しい現実ですが、だからこそ他人を攻撃しようとするのかもしれません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師でもある松尾英明さんが、満たされない自己の存在感がいじめを生むメカニズムを解明し、「いじめはなくならない」という現実を認識した上で対処すべきと論じています。

負へのニーズといじめ

普段から、テレビを全く観ない。ただ先日の土曜日の夕方、テレビのついている環境にたまたまいた。そこで我が子たちと一緒にニュースを眺める状況になった。

最初に流れたのが、スポーツ界の若きスター少女たちの大活躍のニュース。つづいて、海外の歌手の少女たちへの連続暴行事件。ニュースキャスターの方も、また余計なほどに詳しく事件について解説してくれる。何気なくチャンネルを変えても、同じニュースがやっていた。

これは、意図があるのか、あるいはないのか。私はメディアの裏側に詳しくないのでわからない。ただせめて、もう少しニュースの種類を棲み分けできないのかと思う(心理学的に計算されていて、わざとなのかもしれないが)。深夜ならまだしも、お茶の間の団欒の時間に流すニュースとしてこれが相応しいのか甚だ疑問である。

世の中の負や悪の面を知ることも大事だ、という意見もある。しかし、その手の情報については、そんな気を遣っていただかなくてもいい。ご親切に、テレビ以外にも生活の至るところに溢れていて、常にお腹いっぱいで吐きそうである。

何で多くの人に一生無関係な、海外での婦女暴行事件をわざわざニュースで流さないといけないのか。「悪を世に問うためだ」などといくらでも理屈はつけられるだろう。しかし実情は単に、不謹慎にもそれが面白いからではないかとしか思えない。

スキャンダルや凶悪犯罪、殺人事件の類が、多分人々にとって「興味深い」のである。その方が売れる(=視聴率がとれる)のである。人間の中に、負や恐怖への欲望渇望がある。ホラー映画や猟奇的な漫画等がヒットするのも、欲望の根本は同じである。

欲望への否定は、どんなにしても無意味である。多くの人が求める以上、「価値が確実にある

ここでいう「価値」とは、世の役に立つとかいう高尚な類のことではない。多くの人が求めるということ、「ニーズのことである。いいか悪いかとは全く別の次元の話である。

print
いま読まれてます

  • 目を覆いたくなる報道番組を見て判る、いじめがなくならない理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け