平成の世を「紛争の時代」にしたブッシュ父子という勘違い大統領

 

「集団安全保障」という別の選択肢

以上のような展開は、冷戦後に可能な唯一のシナリオだったのでしょうか。そうではありません。

周知のように、1945年に創建された国連は、武力による威嚇と武力の行使を禁じ国際紛争をあくまでも平和的に解決することを目指して、憲章第6章33~38条、第7章39~42条に数々の手続きを設け、それでもダメだった場合にのみ安保理の下に国連軍を編成することを定めています。とはいえこの国連軍は、あくまでも国連の旗の下に、各国から提供された兵員を国際公務員として編成して公的な軍事行動を行うのであって、それと、個別国家もしくはその束である軍事同盟による国益のための国権の発動としての私的な戦争とは峻別されます。

このように、国家には戦争を禁じ、国際機関によってのみ警察的な軍事行動が可能であるとする考え方を「集団安全保障」、あるいは「普遍的安全保障」「協調的安全保障」と呼びます。当時の日本も積極的にこの考え方を取り入れて、世界がそのような方向に進むのであれば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)して、第9条で軍備放棄を宣言したのです。

そのような国連憲章と日本国憲法の理想主義は、1950年の朝鮮戦争とそれによる東西冷戦の激化によって裏切られ、それらの条項は空文化してしまいました。しかし、冷戦が終わったということは、集団安全保障という国連の理想主義的理念が実現する条件が3分の2世紀ぶりにようやく巡ってきたということであったはずです。

そのことを鮮やかに示したのが、90年11月のCSCE全欧安保協力会議首脳会議で、これこそが本当の冷戦終結の記念塔だと思います。そこにはソ連のゴルバチョフ大統領を含む東西欧州のほとんどの首脳に加えて(NATOのメンバーという意味で)米加の首脳も出席し、冷戦の終結を確認すると共に、国連の安保理念に従って欧州でも地域に存在するすべての国が加盟してラウンド・テーブルで紛争を予防するという趣旨の「パリ憲章」を発しました。

そこで早速、ゴルバチョフは91年7月にはワルシャワ条約機構を解散します。当然、それに対応してNATOも解散するだろうと思っていたのでしょう。ところが、同年11月、NATOは解散しないどころか欧州の外のイスラムの脅威などに対処するとして(域外化)、存続を宣言した。これで世界は混迷に陥ることになります。

敵対的軍事同盟  ←→ 集団(普遍的・協調的)安全保障体制
    仮想敵  ←→ 敵を予め設定しない
味方だけ結集   ←→ 世界or地域に存在する全ての国が加盟
軍拡で抑止力強化 ←→ 軍縮し信頼醸成、紛争予防
軍事力で決着が当然←→ 軍事力を用いず平和的に解決

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