正直かつ優しくありたいと願うと、人はどうなってしまうのか?

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正直に考えていることを伝えたら相手を傷つけてしまった…「優しくない」、「デリカシーがない」などと責められた…そんな経験はありませんか? メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、優しさと正直さの両方を完璧に追い求めることは無理だと説明します。そして、ある種の傾向がある人の多くはその難題に挑む人たちで、尊敬でき好ましいと考えますが、自分はその境地には到達できないとも結論づけています。

優しさと正直さのこと

優しいことはいいことだ。だから優しくありたいと願う。正直であることは美徳である。だから嘘はつきたくない。

「優しさ」と「正直さ」。ここに人のあり方の理想形の1つがあることは間違いない。問題は、そう問題は、この2つが一人の人間の内に高次で共起することが決してないということである。優しくあろうとすると嘘もつかねばならなかろう。正直であろうとすると他人を傷つける覚悟も要ろう。

哀しいことだが、優しさは嘘と、正直さは残酷さと親和する。結果、正直さはその残酷さ故に後回しにされ、優しい嘘がそこら中にあふれることとなる。我々の毎日は優しい嘘で成り立っていると言ってもいい。

それでも中には正直さという極めて透明度の高いものへの希求から、嘘というものを極力排除しようと努める人もいる。100%の正直さは無理だとしても、せめて嘘はついていないというくらいには納まっていたいと願う人たちである。

こういう人たちは大抵無口である。言葉というものは発せられたその瞬間からすでに己を欺き始めるものだということを知っているからである。そうして無口にしていると、どうしても誤解を受けやすくなるから結果として孤立する。孤独な人には正直者が多い。

このことはちょっとした思考実験でも分かる。もしも無人島にたった一人で暮らすことになったら、問題の「優しさ」も「正直さ」も忽ち無用となるのである。優しさも正直さも他者あってこその美徳なのである。

しかし先に言ったように、他者との関係の中で優しさと正直さは共起しない。そこで孤独という仮想の無人島を創り出してそこに住まう者となるのである。「優しさ」と「正直さ」を敢えて共に起てないことで、逆説にはなってしまうが、ゼロ次元的両立を図るのである。

そういう訳で、私は口数の少ない、ぼっち傾向の人が好きである。きっと彼らは優しくて正直でありたいと願う人たちだからだ。さらにまたそういう人は自分が誤解されたり、変人扱いされることを許す(あるいは諦める)だけの度量がある人でもある。これだけでも十分尊敬に値すると思うのだがどうか。

どれだけ言葉を尽くした優しさであってもそこには必ず幾ばくかの嘘が含まれる。それが分かっていても、やはり心地のいい優しい嘘を言おうとし、また言われることを期待する自分がいる。どうやら無人島の住人になるにはまだまだ時間が掛かりそうである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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