TOKYO FMの「未来授業」から始まる本当の授業「福祉とは何?」

shutterstock_279709709
 

2月、TOKYO FM、JFNの「未来授業」に出演したメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さんが、マスコミが発する「福祉」に関する言葉と支援の現場で感じる現実のギャップについて、その思いを綴っています。大学生向けの番組であり、インパクトのある言葉を求める姿勢に理解を示しながらも、引地さんは自身の考える「本当の授業」はその先にあると語っています。

東京FMの「未来授業」で語る「学び」はマス化するのか

今月の4日間、TOKYO FMの番組「未来授業」で「障害がある子どもたちのための“大学”」をテーマに話をしている。プロデューサーから1時間程インタビューされ、それを7分間に編集したものを4回に分けて展開するもので、話をしている私としては細切れの印象だが、聴者の「分かりやすさ」「聴きやすさ」を考えれば、短縮された7分のほうが効果的かもしれない。

番組のキャッチコピーは「FMメディアが次の時代を担う大学生へ送るエール。未来を生き抜くヒントを大学生と一緒に探す番組」だから、若者を動かす短いセンテンスのインパクトのある言葉が重要なのだろう。

そのために、支援が必要な人の学びの場、として機能しているシャローム大学校は「障害者」に限定はしていないのだが、番組が設定したテーマには「障害者」が冒頭に来ているのは、やはり巷間の分かりやすさなのだと解釈している。

自分もマスコミにいた人間として、そのキャッチーな言葉で読者や視聴者を結び付けようという意図はよくわかる。それはマスメディアに従事する者の使命でもあるから、マス化できる言葉や映像を探し発見し発出していくのは当然の流れ。ただ現場で当事者とともにいるとその現実との乖離を感じてしまう瞬間も少なくない。

特に番組は私を「福祉のプロフェッショナル」と紹介していたのには、少し居心地の悪さを感じてしまった。私は確かに福祉サービスを提供する就労移行支援事業所等を運営しているので、その道については福祉業界の他者からアドバイスを求められるケースもあるが、私も分からない部分は他者に聞くから、自分をプロだと思ったことはない。

福祉サービスではない学びの場を先駆けて作っているのは、珍しい行動ではあるが、これは「福祉」の領域ではなく、もっと広い「共生」の中での行動のつもりなのだが、やはり要支援者への取組は「福祉」で括られたほうが分かりやすいということであろう。

print
いま読まれてます

  • TOKYO FMの「未来授業」から始まる本当の授業「福祉とは何?」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け