日本と核兵器のベストな距離感。核の傘と核禁止条約の矛盾はこう解決せよ

 

「大人の国」同士でしか、相互確証破壊は成立しない

というのは、核の傘という問題の意味が変化しているからです。従来の核抑止力というのは、一種の恐怖の均衡として成立していました。例えば、ソ連の指導者は仮の話としてアメリカや欧州に大規模な戦略核攻撃を仕掛ければ、世界征服ができるかもしれないが、その場合に生き残った原潜などから戦略核での報復を受ければ国民の多くが死亡する壊滅的な破壊を受ける、従ってその恐怖により先制攻撃を控えるというのが、そのストーリーです。

そこには、たとえ非民主国であってもソ連の国家指導者は、少なくとも自国民が大量殺害されるような事態は「恐怖」と認識する、つまり他国民はともかく、自国民の生命を守ることには最低限の責任感があるだろうという、暗黙の前提、あるいは暗黙の信頼があったわけです。

ですが、現在の核の脅威はこれとは異なります。例えばアル・カイダ系のテロリストが小型の核兵器を使用してテロを行った場合、その報復としてサウジであるとか、エジプト、アフガンなどの無関係な一般市民に対する核攻撃を示唆するということが抑止力になるかというと、ならないと思います。

テロリストに「核による報復」は通用しない

仮にサウジ出身でアフガンで訓練を行い、エジプトに潜伏していたアルカイダの指導者が関与した核テロで、アメリカで大きな被害が出たとして、サウジ、エジプト、アフガンに対して報復核攻撃を行えば、それこそアルカイダの思う壺だからです。これら各国の反米意識は頂点に達し、これにイスラム各国が同調して世界大戦になり、しかも非人道的という汚名によって米国を追い詰めることが可能になるからです。

北朝鮮も同様です。例えばですが、白昼堂々と在日米軍の基地と日本の人口密集地域に戦略核攻撃を行って大量殺戮を行い、金王朝とその側近だけは地下深い核シェルターもしくは、第三国の原潜などに潜んでいる中で、北朝鮮に対して大規模な報復核攻撃を行って、民間人犠牲を大量に出してしまえば、日本とアメリカは国際社会における政治的な勝利からは遠ざかります。

自国民の犠牲に対する責任感のない利己的な独裁者、仲間の生命も顧みずに混乱の拡大だけを狙うテロリストには、恐怖の均衡という理論は当てはまらないのです。言い方を変えれば、独裁者やテロリストの被害者でしかない、その国の非戦闘員に対する報復を示唆しても抑止力にはならないのです。

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