菅政権の戦前回帰と言論封殺。任命拒否は日本に2度目の敗戦をもたらす

 

日本学術会議は内閣の所管ではあるが、独立性を重んじられる。政治によってサイエンスがゆがめられてはならないからだ。もちろん戦前の反省が背景にある。

そのため、会員の選任については、もともと研究者の選挙によっていたが、1983年にこう変更された。

「日本学術会議は、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者

を選考し、内閣総理大臣に推薦し、それに基づいて内閣総理大臣が任命する」

(日本学術会議法7条、17条)

あくまで選考基準は学問的業績であって、政治信条などは関わりがない。それはこの条文ではっきりわかる。ただ、内閣総理大臣が任命するという箇所だけ見れば、独立性は保たれないのではないかという疑問が当然、湧いてくる。

その疑問に明確に答えたのが、1983年5月12日の参院文教委員会における中曽根康弘首相の「政府が行うのは形式的任命にすぎません」という答弁だった。

また、野党議員の指摘で最近判明したのは、国立公文書館に保管されている内閣法制局の「日本学術会議関係想定問答」(83年)の存在だ。

そこには、「実質任命であるのか」との問いに、「推薦人の推薦に基づいて会員を任命することとなっており、形式的任命である」と答弁を記載。学術会議に首相はいかなる権限を持つのかとの問いには、「指揮監督権を持っていない」と回答することと書かれている。

「優れた研究又は業績がある科学者」が会員の資格であり、政治家には研究業績の評価ができないがゆえに、学術会議が推薦するのである。したがって、総理大臣は推薦されたメンバーをそのまま「形式的」に任命するのがあたりまえで、その他の選択肢はありえない。

自分たちの政策を批判したから排除したというのがおそらく本音だろうが、それを言ってはおしまいであって、しょせん、いくら求められても6人を除外した真の理由など説明できるはずはないのだ。

こうした言論監視は安倍前政権から顕著だった。「知性」や「良心」をもとにその政治的暴走を食いとめようとする学者やジャーナリストたちを、蛇蝎のごとく嫌っていた。

官房長官だった菅義偉氏は急先鋒であり、その手足となって動いた杉田和博内閣官房副長官と北村滋国家安全保障局長は現内閣にそのまま留任した。

二人とも、警察庁警備・公安畑の出身だ。邪魔な識者たちのブラックリストは前政権以来、積み上げられている。新政権がスタートし、最初にこのリストが使われたのは、日本学術会議の推薦名簿なのであろう。

官房長官時代の菅氏は、テレビのコメンテーターに圧力を加え、テレビ局の上層部を恫喝して、番組を降板させることくらい朝飯前だった。

TBSの「NEWS23」で安倍政権批判を繰り広げていた故・岸井成格氏が企業幹部を相手に講演した勉強会に菅氏が突然現れて、最初から最後まで聞き続け、終わると「今日はいい話を聞かせていただいて、ありがとうございました」と言って帰っていったという。

岸井氏は佐高信氏との対談本「偽りの保守・安倍晋三の正体」(講談社)で「怖いよな、どこで何を話しているか、全部知っていますよ、ということを見せているわけだ」と語っている。

元経産省官僚の古賀茂明氏も、テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターを降板した際、当時の菅官房長官からバッシングを受けていたことを告白している。

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