【第9回】俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談

 

自己嫌悪と折り合いをつける作家、藤枝静男に憧れる

春日 でさ、星新一が傍目にはニコニコしてたけど心の内では実は鬱屈してたらしい、というのを読んで、俺はすごく気が楽になったの。

穂村 鬱屈している状態に共感したってこと? 確かに先生も、この対談では、いつもニコニコしながら心のわだかまりを吐露しているよね。お医者さんやって、たくさん本も出してて、充実しているように見えるんだけどね。しかも、こんな素敵なマンションに住んで、可愛い猫もいてさ。

春日 まあね、内心いろいろあるんだよ(笑)。でもまあ、せめてガツガツしたりはしたくないとは思ってるけど。

穂村 ガツガツは分かんないけど、実はいろいろ気にしたりするよね。自分の本のAmazonレビューを読むって言ってたのは意外だった(笑)。

春日 このふざけたレビュー書いた奴を突き止めてやる! とか思ったりしてね(笑)。まあ、しないけどさ。超然とまでいかなくても、鷹揚としていられたらいいんだけど。

穂村 誰みたいなイメージ?

春日 作家なら井伏鱒二(1898〜1993年)とかさ。俺も釣りとかしなきゃダメかな。

穂村 さっき乱歩の名前が出たけど、彼は推理小説というジャンルの、日本における開拓者でしょ。みんなに尊敬されていたけど、やっぱり屈託もあったみたいだよね。ただ、彼の場合は自分の趣味や性癖とか、その原因がもうちょっと個人的なものだったようにも見えるけど。

春日 でも、ある時期から推理小説そのものが書けなくなっていた、というのは辛かったんじゃない? 本心では、「少年探偵団」シリーズなんて子供向け書きたくなかったわけでしょ。

穂村 なぜか自己評価が低そうだったよね。乱歩はそれを隠していなくて、「そんなに卑下しなくても」って思うような文章を残している。まあ、時代が下って、本人的にはちょっと……と思っていたであろう仕事にもリスペクトが集まったわけだけど。当時はキワモノとかこどもだまし的な扱われ方もされたのかなあ。

春日 そういう鬱屈というか、自己嫌悪系としては、俺は藤枝静男(1907〜93年)に憧れるんだよね。

穂村 いわゆる私小説作家なの?

春日 ジャンルとしてはそうだね。静岡県の浜松で眼科医をやりながら小説を書き続けた人。作品を読むと、鬱屈している様子が伝わってきてグッとくる。自分の人間性とか体験したことについて、もうぐじぐじぐじぐじ書いててさ。で、その自己嫌悪と折り合いをつけつつ、生きていく姿が俺には非常に好ましく映るのよ。

穂村 作家としては、どういう人だったの?

春日 若い頃、瀧井孝作(1894〜1984年)に原稿用紙をどさっと渡されて、「これに素直に書いてみれば、それがもう作品なんだ」って言われて小説を書こうとしたんだけど、その時は書けなかったんだよね。で、処女作を書いたは40歳の時。それって、むしろ書くことに必然性があったという感じがするし、気合入っているなとも思うんだよね。

作風としては、やっぱり医者特有の身も蓋もなさがあってさ。「これはもうダメですね、腕を切り落としましょう」みたいな思い切りの良さというか。非常にきっぱりとした精神で書かれているのが作品から伝わってくるんだよね。しかも、作家には酒とか女とか金の話が付きものだけど、作中で言及したことはほとんどない。よくある「原稿が書けない」みたいなくだらないエッセイも書かないし、すごく腰が座っている人だったの。

医者で、カルト作家で、自己嫌悪……あれ?

穂村 先生は前に「地に足が着いてる」ことを美徳とするような発言をしていたけど、つまり藤枝はそういう作家だったの?

春日 まさにそう。一家の父として、あるいは夫として、あるい開業医として、意地を張って「俺がみんなを引っ張っていかないと」的な強い意志を持っていたことが、エッセイとかからも伝わってくる。で、そういう性質が、作品にも非常にプラスな形で出ているんだよね。思い切りの良さという意味では、柔軟というよりも、「え!」というようなことを作品の中で平気でするタイプでさ。自分が言いたいことを言うには普通の私小説の形じゃダメだと思えば、丼やぐい呑みが喋るなんてとんでもない設定を平気で持ってきちゃう。で、そんな大胆な作品「田紳有楽」(講談社学芸文庫『田紳有楽・空気頭』収録)で、1976年には谷崎潤一郎賞を受賞していてさ。

穂村 ちゃんと評価もされているわけね。

春日 ストイックなところもいいんだよね。自分の病院兼住居を建てた時も、わざと真四角な、まったく色気のない建物にしつつ「俺は罪深いから、いわば刑務所に入るような気持ちで作った」とかうそぶいて見せてね。でも、外側に貼るタイルはどこそこで特別に焼いてもらった特注品だったりして(笑)。そういうところもお茶目で好き。なんだろうな、藤枝静男は、俺的には一番誠実な人なんだよね。フレキシビリティとか大胆さとか、甘えないところとか、憧れるよ。

穂村 そのチョイスは、先生らしいなと思うよ。少し前に亡くなった歌人の岡井隆さん(1928〜2020年)もお医者さんで、やっぱりそういう「医者で文学者」という系譜に自分がいるという自意識があったと思うんだけど、でも岡井さんのは憧れの対象が森鴎外とかのイメージなんだよね。偉いお医者さんで文豪、みたいな。でも、近代と現代とでは時代も離れすぎているし、実際問題として今は成立困難だと思うの。それこそ岡井さんくらいの年齢じゃないとさ。そういう意味で言うと、藤枝静男って目標はずっと現代寄りで、いわゆる文豪って感じじゃないよね。昔はそういう言葉はなかったけど言うなればカルト作家でしょ?

春日 まあね(笑)。

穂村 医者で、カルト作家で、自己嫌悪……先生、もうすでに完成してるじゃん! あとはその精度を上げていくだけだよ。さっき井伏鱒二みたいな感じで行きたいって言ってたけど、やっぱり文豪的な存在じゃなきゃダメ?

春日 いや……カルト作家で充分ですけどね(笑)。

穂村 そうだ、藤枝静男はどういう最期だったの?

春日 最期はね、ボケて死んだ。それも書庫で、台に乗って上の方の本を取ろうとしたらひっくり返っちゃって、頭ちょっと打ったりしたのがきかっけで一気に。

穂村 その死に方にも憧れるの?

春日 そこには別に憧れないけど(笑)。だけどまあ、あの人ならそんなもんかな、という気もするな。認知症ならもはや自己嫌悪どころじゃないから、いわば究極の解脱方法を選んだなって感じがするわけ。

10月①_トリ済みA

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