新型コロナで露わになった都市型ライフスタイルの脆弱性のお話でした。
サービスとインフラの充実した大都市では、家事がソトに持ち出され家のナカにはあんまり残らない状況になりつつあるときに、新型コロナが感染拡大しました。そのため、家で家事を回すのがタイヘンだった世帯もあったはずです。新型コロナのおかげで、家事をナカでやることがちょっと見直されたと思うんです。
さて、それじゃあさ。
新型コロナ以前は、どうだったんでしょうか。洗濯は、料理は、掃除は、どうやっていたんでしょうか。そう
- 女性が
やっていたんですよ。男性が家事に参加するようになっているとはいえ、データが示すように大半の家事を担っているのは女性です。なので、ここでは「女性」と書いておきます。
家庭内の成人女性という存在は、日本ではあたかも
- 家事のためのインフラ
みたいなものなんです。これが整っていることが家庭を回す重要なキーでした。しかも、長い間女性が一手に引き受けていたため、男性は家事をせず家庭外の仕事に集中してきたので、家庭だけでなく産業社会構造自体の基本的な前提条件でもあったんです。女性が家事を担わないと、家庭だけでなく社会自体が立ちゆかない構造だったんです。
いや、ホントですよ。男性が「オレは仕事をしてきた!」とどれほど言っても、家事を丸投げできる相手がいればこそだったんですから。
まあ、多少キツめの別の言葉でいえば
- 女性に依存していた
ということでしょう。依存の例に違わず、家事を依存することは、女性の生き方だけでなく男性の生き方も、社会の有り様も、狭く小さくしてしまうものです。
そこで、現在、日本の家庭はここからの
- 脱却の途中
です。調理家電や掃除ロボットが出現し、男性たちの家事参加が推進され、女性への一極集中が低減しつつあるのです。実に喜ばしいことです。
そこに、新型コロナによってさらなる一押しが加わりました。家事をソトに持ち出せばよいという解決方法の脆弱さが明らかになり
- 個人が自分の身仕舞いの延長として、ある程度家事ができる
ことを要求したのです。これが都市インフラにも女性にも、依存しすぎていない状態で、
- もっとも自律的で生存を易しくする
在り方なのです。もはや、男性か女性かという区別は無意味です。オトナになるための当然の常識的スキルとして、ある程度の家事が
- できなければならない
のですよ。
12月以降、占星術的にも「自律的な個人であること」が求められるようになります。新型コロナを糧にして、新たな時代に備えたいですね。
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