GoToアクセルと外出自粛ブレーキを同時に踏んだ菅首相の愚かさ

20201214shisatsu03
 

新型コロナの「第3波」による感染拡大が止まらず、国民の間からも「一時停止やむなし」の声があがる中、それでも菅政権が「経済優先」を掲げて強行し続けていた「Go Toトラベル」事業。14日にはようやく「全国で一時停止」が発表されましたが、菅首相の支持率は急落の一途を辿っています。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、Go Toをめぐる混乱を振り返りながら、コロナ対策の「分科会」の対応が自動車のブレーキとアクセルが一体化した「ブレクセル」とでも呼ぶべき「いびつ」さを持っていると指摘。踏んでも、止まるのか進むのかさえ分からない政権と分科会の舵取りを痛烈に批判しています。

「ブレクセル(アクセル&ブレーキ)」のこと

行き先が分かっているなら先回りに待ち伏せ、罠だって仕掛けられる。先手を取るとはこういうことである。一方、後手を踏むとは虚を突かれた時の言である。虚を突かれた訳でもなく、行き先が分からなかった訳でもない。にもかかわらず後手に回る破目になるのはひとえに愚かだからである。

巷間では、もうひと月も前から「Go To一時停止もやむなし」といった意見が優勢になっていた。「Go To」の一番の受益者であろう観光業・飲食業従事者であってさえも積極的にインタビューに応えたり、SNSで意見の発信をしたりしている人の中には「経営にとっては確かに苦しいけれども現時点においてはやはり『Go To一時停止はやむなし』」というような覚悟の言辞も多く見受けられた。

結局いつまでもぐずぐずしていたのは政権担当者だけであった。国民の大多数が「やむなし」と思っていたにもかかわらず、そしてそう思わざるを得ないほどに感染状況が日々に悪化していたにもかかわらず、すぐに決断できなかったという事実はおよそ看過できるものではない。

国家の舵取りを担う者が小型ボートか何かを操っているつもりでは困る。その取り回しの大変さは巨大タンカーどころではない。なればこそ認知、判断、操作の迅速さなくしてどうして安全な航行を担保できようか。

もちろん非常時におけるこの種の施策には常に功過二側面が伴うものである。それを正しく評価するために専門家が雇われているのである。評価と言ってもその原則は単純明快で、功から過を減じて値がなお正であればその施策は続ける価値があり、値が負となればすぐにもやめるべきである、というものである。この判断が迅速にできていないのは雇われている専門家の集団、即ち分科会がいびつであるからである。

上記の原則も、功を過大に評価し、過を過少に評価すれば、数式上は正の値が出続ける。

「Go To」をこれほどまでに引っ張った(あるいは引っ張ることができた)のは分科会内においては経済優先の意見の方が優勢であったということを推測させるに十分だが、しかしその一方で同じ会議内において医学や医療の専門家がそれを黙認したとは到底思えないということもまた推測できる。とすれば結果としてどこかの段階で黙殺されたということになる。アクセルがブレーキを無視したのである。

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