これはやや極端な事例ですが、寛容性とか妥協というのが、現代の「分断」の解決法の一つとして、あまり機能しそうもないということの説明にはなると思います。「敬して遠ざけてスルー」というのも、機能しないのは同じ理由です。
そうなると、やはり徹底的に喧嘩を買い、決定的に中身の「ファクトとロジック」を暴露して、徹底的なディベートを行うということでしか、こうした「分断」の解決法はないのかもしれません。
アメリカの場合は、どんな人も立場も「平等」だということが思考法から態度に至るまで、徹底的に訓練された社会ですから、日本のように「マウント取りに行く」のは不快だなどというクレーム表現はありません。そんなことを言ったら、自分が「弱っちい」ことがバレて、徹底的に押されてしまうからですが、そうではあっても深層心理の深い部分では「マウント取られて悔しい」的な怨念というのは、突き刺さっているわけです。
トランプ現象というのは、正にそうした「こじらせた怨念」が暴れているわけであり、例えば「民主党の人道主義、人権という理念」などが徹底的に攻撃されているのには、深層の部分における怨念というものがあるのだと思います。
であるならば、バイデン氏の言う寛容とかスルーというのは、あまり機能しないのではないか、そんな懸念を感じるのです。そう考えると、こうなったら徹底的にやったら良いという考え方にも一理あるとせざるを得ません。
例えばですが、カリフォルニアの鬼検事であったカマラ・ハリスのイメージで、刑事被告人トランプを徹底的に締め上げて、事実を思い切りブチまける、その上でトランプ派の思っていたファンタジーを打ち砕いて、政治的影響力を雲散霧消させる、といった作戦はアリなのだと思います。
勿論、そうしないという作戦もあります。トランプへの追及という「過去」にはこだわらずに、コロナ対策や全く新しい環境経済に猛進して行って、気がついたらアメリカはずいぶん違う国になっていたし、いくつかの課題には改善が見られた、ということで民主党政権が大きく支持率を広げ、それに是々非々で協力した共和党穏健派も力を取り戻して、アメリカ全体として気がついたら「脱トランプ」が成立していた、そうなれば一番いいわけです。
ただ、第3のシナリオとしては、バイデン政権は求心力が定まらず、民主党内の抗争が激化して、バイデンはヨレヨレに、そんな中で民主党の左派(プログレッシブ)がどんどん左のポピュリズムを煽るようになって、トランプ派を吸収、という可能性もないわけではありません。そうなると、「分断」の境界が左にズレただけということになります。
いずれにしても、トランプとその主張が1月20日以降どうなっていくのか、この問題はトランプ訴追という問題と関わって行くと思います。それ以前に、まず直近の課題としては1月5日のジョージア再選挙で上院の2議席がどうなるか、ここに注目しながら年を越すことになりそうです。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋・文中一部敬称略)
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