コカ・コーラの誤算。五輪会場持ち込み飲料を限定させたオワコンの自爆マーケティング

 

勿論、悪用は禁物です。人間の不安心理につけ込んで、金をむしり取る霊感商法であるとか、怪しい新宗教なども問題ですし、何よりも不安心理を大規模に扇動することで、社会不安を煽るファシズム運動、その変形であるスターリニズムなどは人類の敵と言っていいでしょう。

そうではあるのですが、人々の100%が大津波警報をスマホで受ければ、確実に避難できるわけでもないし、また人々の100%が原子炉の冷温停止に関して、どの程度の危険なのかを理解したり、使用済み核燃料の地層処分について十分に判断できるだけの原子核物理学の知識があるわけではありません。

では、そうしたリスク管理のリテラシーのない人は、リスク管理に関わる判断に参加する権利を停止することができるのかというと、これは難しいわけです。本当は、火というのは温度を下げ、燃料を除去し、酸素を除去することで燃焼をコントロールできるということを「知らない」人に焚き火をさせてはいけないわけですから、これと同じように、最低限のリテラシーを求めてもいいはずですが、社会の設計がそうなっていません。

つまり、時の為政者は社会における安心の確保ということを、正しく行なっていかないと、結局は有権者の不安感情が暴走することで、権力を委任してもらえなくなってしまうわけです。その限りにおいて、いかに非科学的であっても、この「安心」ということの確保を続けるということは、政治家にとっては宿命と言えます。

問題は、それが簡単ではないことです。

1つは、「安全」の確保と比べると、「安心」の確保は幅が広いということです。科学的には安全でも、心理的には安心ではないという部分にも対策を打っていくということは、はるかにコストと労力がかかる作業だということです。

2つ目は、社会全体にストレスが溜まってくると、「安心」をめぐるトラブルが深刻化するという問題があります。行政としては、まずは安全を確保すれば良く、安心というのは、その上の「プラスアルファ」とは言っていられなくなりました。マスクを巡るトラブルなどは、本当に深刻であるわけで、そのリスクを回避するためには、科学的には不要でも着用しなくてはならない、そのぐらい大きな問題になっているわけです。

3つ目は、ここから更に厄介な話になるわけですが、安全というのは科学的な推論であったり事実ですから、そう複雑ではないのですが、安心というのは心理的、主観的な問題ですから、極めて複雑だということです。要するに矛盾する複数の観点があるのです。

例えば、改めてマスクの問題について考えてみると、日本の場合ですと、効果があり必要であるケースに加えて、必要でないケースでも「お互いの安心」のために着用するというストーリーです。これはこれで面倒な話ですが、アメリカに比べればましです。

アメリカの場合ですと、コロナの知識がある人間は、例えば食料品のスーパーなどで、マスクをしない人が多い店というのは「知識や意識の低い人が多いので、危険」という理解をして、できれば避けるような行動をします。その一方で、その「知識や意識の低い」、具体的にはトランプ支持者のようなグループは、「アジア人の顔をしてマスクをしている人間」を見ると「ウィルスの塊のよう」に思ってしまうわけです。

まず彼らは、そもそも予防目的でのマスク着用というのは、政府に強制された怨念が積もっていますし、医学の理解などないので「無意味」と思っています。その反対に、マスクをしているのは「病人」であり、これに加えてアジア系の顔をしていると「中国ウィルスを撒き散らしている人間」だと直感して、危機回避本能が爆発してしまうのです。現在は、やや下火になりましたが、アジア系に対して衝動的に殴る蹴るといった暴力が横行したのはこのためです。

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