小池知事“二階派乗っ取り”で自民総裁就任か。盆明け政局の有力シナリオ

 

それに比べると、現在の日本社会には一種の虚無を感じます。

それは、政治的な対立は調整不可能だという一種の絶望的な諦念です。対立の原動力が自己実現の意思であるうちは良いのです。そうではなくて、一種の動物的な直感、あるいは本能のようなものに根ざしている時、そのレベルがある一線を超えてしまうと、人は相手を説得するのが非常に難しいと感じるようになります。

現在の日本で起きているのは、そうした現象であると思います。そして、その結果として合意形成とか、国民の統合ということが難しくなっているのを感じます。

様々な例を挙げることができます。

例えばですが、オンラインの会議で自分は密室に一人という場合でも、組織の風土によってはマスク着用がデフォルトになっていたりします。医学とかサイエンスとは無関係の行動ですが、既に「公の席では鼻と口は晒さない」という戒律が行き渡っているからです。

問題は、戒律の是非ではありません。また、マスク姿に慣れてしまったために着用していないとタブーを犯しているような感覚を持つことでもありません。そうではなくて、「サイエンスとは無縁の直感としてノーマスクにはドン引き」という種類の人とは、論争は不能だから自分を捨てて同調しておかないと、リスクになるという判断がデフォルトになっていることです。

これは、同調の底に根深い分断を抱え、また分断を固定化することです。マスクによって素顔の表情を見て話すことができなくなったことも含めて、こうした風潮が続くことによって社会の合意形成力は大きく損なわれると思います。

コロナ自体への対応もそうです。例えば、緊急事態宣言における努力要請と、その遵守ということでは、日本社会の特質であった同調や秩序形成という行動がされなくなってきています。若い人の間ではコロナが重症化しないとか、会社ごとの仕事の進め方が自己流でなので、出社して対面でコミュニケーションを取らないと、ノウハウが学べないとか、色々な事情があると思います。

そうではあるのですが、ここまで規範が機能しなくなる、規範の核は機能していて周辺に例外があるという構図ではなく、規範がボヤけてしまうというのは、やはり危機であると思います。

そんな中で、揺らぐはずのない権威が崩壊する、そんな現象も起きています。これまでの日本人は少なくともオリンピックと、ノーベル賞と皇室の権威には尊敬を払ってきました。ですが、今回、このような形でオリンピックの権威が崩壊し、また皇室でも秋篠宮家の権威が危機に瀕しています。

このままでは、日本が避けて通れない3大改革を実現するための合意形成というのは非常に難しくなります。

ちなみに3大改革というのは、「公教育における能力別指導による全体の底上げと才能の発見」「経済規模を縮小するまでの暫定期間は原発を稼働させることによる排出ガス削減と製造業の維持」「枢軸の名誉の最終放棄と引き換えに、自主軍備を経て東アジアの安定のための集団安保実現」の3つですが、痛みも含めた多くの変更を伴うこうした国家の大計に関しての合意形成は非常に難しいというわけです。

漠然とではありますが、社会が崩壊して一種のアパシー(無感動、無刺激)のような現象が広まっているとも思えます。その背景にあるのはネットです。ネットが社会の深層にある「行儀の良くない本音」を瞬時に拡散させることで、既存の価値や、規範といったものがどんどん崩されているのだと言えます。

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