心をえぐる「生きてるだけマシ」阪神淡路“震災障害者”が負った体と心の傷

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1995年1月17日、未明の関西地方を襲った阪神淡路大震災から今年で27年。その間、人知れず苦悩し続けている「震災障害者」と呼ばれる方々をご存知でしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、「生きてるだけマシ」という言葉に傷つけられ、現在もその数すら正確に把握されていない震災障害者の実態を紹介。さらに東日本大震災時を含め、彼らの存在を結果的に「置き去り」にしてきた自責の念を綴るとともに、今後の積極的な情報発信の重要性を訴えています。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

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「生きてるだけマシ?」震災障害者の苦悩

阪神淡路大震災から、27年が経ちました。

震災を知らない若者たちに当時の経験をどう引き継いでいくかが注目されています。その一方で、27年間、注目されなかった人たちがいます。

地震で被害を受け障害を持った人たち、「震災障害者」です。

阪神大震災での重傷者数は1万683名とされていますが、その中で何人の人たちが「震災障害者」となったか?も正確には把握されていません。

国の支援では、1973年成立の災害弔慰金法に基づき、災害障害見舞金として最大で250万円支給されます。しかし、支給対象は、両腕・両足の切断や両目失明など1級相当に認定された最重度の障害だけ。つまり、250万円をもらうこともできず、社会復帰も難しく、今も、困難を抱えながら生きている人たちがいるのです。

ある女性は、家屋の下敷きになり車椅子での生活を余儀なくされ、ある男性は、崩壊したビルの狭い空間に閉じ込められ、右手・足が自由に使えなくなった。ある少年はピアノの下敷きになり左足が不自由な状態が続いるといいます。

これらは「クラッシュ症候群」と呼ばれ、骨格筋の虚血や損傷、圧迫の解除による再灌流が主な病態のこと。阪神淡路大震災では370人以上の「クラッシュ症候群」が報告がされています(神戸市の調査)。

震災障害者の人たちの多くは、一緒にいた家族を失い、家も仕事も失った人たちです。NPOが実施した実態調査によると震災障害者とその家族の4割が自殺を考えたとあることがわかっています(『災害復興研究』第3号)。

しかし、震災障害者は、制度の谷間に落ちる存在であると共に、盲点でもあるため、その全容は27年が過ぎた今も把握されていません。

彼らは「生きてるだけマシじゃないか」と言われたり、「命があればなんでもできるさ」といった言葉に傷つき、「忘れ去られた存在」として苦悩を抱えたまま生きているのです。

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