こうした 「路地裏で夜まで大騒ぎ」 は、 当時の下町ではごくあたりまえの風景 でした。しかし、さびしいかな、 昨今は、そんな子供たちを見ることはありません。 お受験やお稽古の教室通いなのか、それとも部屋にこもってゲーム機に興じているのか。
ほとんど例外的に、 私が住む家の前の路地は、同世代の幼子が多くて、時々懐かしい歓声が聞かれます。
わが家の車庫のシャッターは、お向かいの男の子のサッカー練習に使われたのか、 今でもボールの跡だらけ 。あいさつも返さない子だったので注意しようかと思ったこともありますが、 今では立派な中学生となり、向こうからあいさつしてくれます。
つまり何が言いたいかというと、 子どもたちには、その時その場でしかできない小さな冒険があり、 それもまた成長には必要だということです。
時には、度を越して、怒られたり、痛い目にあったりもするでしょうが、 それもまた勉強 。やがて、こうした経験で何かを学びながら、遊びを卒業してオトナになっていくのです。
残念ながら 、私も含めて、 自分で痛い目にあったり、これはいけないことだと気づいたりしない限り、本当に学習したとは言えません。
日々、大学生と接していて感じるのは、 これまで失敗=痛い目に遭う経験が少なかったのか打たれ弱く、いい子ちゃん然としてリスクを取らないこと。これでは起業などできません。
「そっちに行っちゃ危ないわよ」
「それはルール違反だろ」
こうして両親から規制の言葉をかけ続けられると、やりたいことをする=冒険を前に、自己規制をする人になってしまうような気がします。
ですから、カミナリオヤジ になるより、 超えちゃいけない一線までは辛抱強く、そして温かく見守り微笑むご隠居を目指されるのはいかがでしょう。
「そんなことしちゃいかん」 というより「どれどれ、こうした方が面白いぞ」 と教えてあげるのです。
わが子に対しては、どうしても怒りがちになるのが親の心情 ですが、 よそさまのお子さんには意外にニュートラルに接することができるかもしれませんよ。
ただし、昨今は、いろいろな意味でモンスターな親御さんも多いので、 出しゃばり過ぎないように 。願わくば、どんな親御さんか知っているお子さんに親切にした方が良いかもしれません。
「うちの子に何を教えるんですか」 と逆ギレされてもつまらないですし。
そうか、 私が生まれ育った下町は、誰もがご近所で仕事をしていたし、みんな銭湯で顔見知りだったから、自然に「やんちゃな子供たちをあたたかく見守る」環境ができていたのかもしれませんね。
まあ、 大学生でさえ「こんなこともできないのか」と嘆き怒りたくなる毎日 を送っておりますので、 小学生はちょっと大目に見てあげて、 お互い気長にいきましょう。
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