米国の言いがかり?中国が反論する「ウクライナ戦争を巡る10の疑惑」

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ロシアによるウクライナ侵攻を巡り、アメリカから多くの批判を浴びている中国。日本においても「疑惑」の粋を出ないそれらの批判が、あたかも事実かのように受け取られ流布されているのが現状ですが、そのような姿勢は結果的に国益を損なうことに繋がる危険もあるようです。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、著者で多くの中国関連書籍を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんが、国際問題を考える際に「自国と他国の認識の違い」を意識する重要さと、こうした視点の欠落が招く好ましからざる事態を提示。その上で、中国が自国以外の報道や資料を根拠として理路整然と反論する、アメリカからの10項目の批判を紹介しています。

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ウクライナ戦争をめぐるアメリカの中国批判に新華社が反論 そこから浮かび上がる日本とのパーセプションギャップ

国際問題を語るとき認識の違いを意識することは極めて重要だ。国と国との関係では、それが誤解を先鋭化させ紛争に至ることもあるからだ。対立の激化を避け、衝突の芽を先回りして摘むことができれば、それだけで国に対する貢献は計り知れないほど大きい。なんといっても戦いよる破壊やコストを免れ、逆に発展の成果を手にできるのだ。戦争が総力戦となり互いにへとへとになるまで「止められない戦争」となった第一次世界大戦以降では、この発想が重要なのだ。

だが、現在の国際環境においてそうした考え方が主流になることはない。認識のギャップを埋めようとすれば相手の視点から物事を理解する必要が生じ、そんなことをすれば自国で相手国の代弁者と罵られ、政治家ならば国益意識の低い者と蔑まれるのが関の山だからだ。場合によっては怯懦、売国奴と謗られることさえある。

ただ主流ではないと言っても価値がなくなるわけではない。だから今回の原稿では中国の視点に立ったアメリカの正義に対する疑義を並べてみようと思う。

民主主義という御旗を掲げてアメリカが行う正義の遂行は、同国と同盟関係にある日本と、時にそのターゲットになる中国ではギャップが鮮明だ。

西側と中国との間のギャップに具体的に触れる前に、少しウクライナ戦争をめぐる視点の難しさについて触れておきたい。

先日、あるロシア出身の学者の研究会に参加した。そのとき、「周囲が海に囲まれて国境が固定されてきた日本と、しょっちゅう国境が動くヨーロッパでは、今回のウクライナ戦争のとらえ方は違う」との発言があった。そこには思い当たる点があった。

ロシアのウクライナ侵攻が正当化されるという意味ではない。将来起こりえる日欧のギャップが見える気がしたのだ。「和解に対する認識の差」が日本人を動揺させる場面があるかもしれない、と言い換えるべきかもしれない。ロシアとウクライナの問題が、案外あっさりと和解へと進む可能性だ。

そうなったとき「絶対に許せない」という価値観で結びついていた日本人は少なからず戸惑うのではないだろうか。

そもそもロシアとウクライナの戦争は「民主主義vs.非民主主義の闘い」であり、戦争の目的が民主主義の防衛であれば、ロシア軍の敗走かプーチン政権の崩壊以外に納得できる終わり方はなかったはずだ。日本はその大義の下でロシアに経済制裁を仕掛けた。だが、ウクライナやその後ろにいる米欧がより現実的な選択をしないと言い切れるだろうか。これまでの歴史を考えれば否定はできない。ロシア人学者が指摘したギャップはそれを思わせたのである。

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