ゼレンスキーを操っているのは誰か?戦争で金を儲ける「代理店」の存在

 

メディアの桁外れの波及力

とはいえ、第1次大戦の時代にはまだラジオもなかった。戦争プロパガンダと言っても、それが行われたのは議会や集会での指導者の演説とそれを伝える翌日の新聞くらいなもので、マイクロフォンとラウドスピーカーからなる音響システムや、その両者間を無線電波で繋いだラジオ放送が登場するのは1920年代、広く普及するのは30年代だし、映画が無声からトーキーに切り替わるのも同じ頃だった。

それらの新しい電気的マスメディアをいち早く活用して煽動政治を行ったのはヒトラーのナチスで、大広場に何万人もの聴衆を集めて集会を開くのは夜と決め、何十本の色とりどりのサーチライトが天を舞う中、ワーグナーの荘重な音楽が大音響で鳴り響き、そこで一転して訪れる静寂と真っ暗闇とを切り裂いて一筋の強力なスポットライトが輝いて、白馬に跨ったヒトラーが登場してヒラリと演壇に立ち、火のような演説が始まる……。

馬も演壇の陰の踏み台も、ヒトラーの身長がそれほど低くないように見せるための演出だった。彼は身長172~175センチとされ、当時のドイツ人としては中肉中背、特に背が低いという訳ではなかったが、自ら命じて組織した親衛隊の中核=武装部隊の隊員資格を北方人種の出自、金髪碧眼、身長174センチ以上としたため、それより背が低いと思われないようにするために酷く気を遣っていたとされる。金髪碧眼でなく「黒髪茶瞳」は変えようもなかったが……。

音声だけでなく、音楽、映像、画像、光線、旗、プラカード等々、視聴覚を総動員して人々の魂を揺さぶり戦争目的へと動員するこのやり方を、ゲッベルス宣伝相は「大衆の獲得という目的に役立つならどんな手段でもよい」「娯楽の中に宣伝を刷り込ませ、相手に宣伝と気づかれないように宣伝を行う」と説明しているが、まさにこれが「マルチメディア」によるマインドコントロールの元祖で、実際、戦後1950~60年代になると、米国の広告代理店が、テレビCMで人々を騙して物の消費に走らせるための手法を開発するため、ゲッベルスの宣伝術を徹底的に研究したと言われている。

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