安倍元首相銃撃事件から1ヶ月。渋沢栄一の子孫が問う「日本人のアイデンティティとは」

 

最近、時事問題などニュースを視聴した後に、妻から問われたことがあります。「日本が大切にしているアイデンティティって何だろう」と。日本人は、その大切にしていることを明確に自分たちの言葉で表現して共有できているのでしょうか。

また、その表現を世界へと発信できているのでしょうか。大学生の三男に聞いてみたところ、「ん~ 文化かな」という返事がありました。確かに、日本文化は我々が大切にしているアイデンティティですが、「文化」という表現だけが、共通言語になっているかというと深掘りが必要そうです。

例えば、米国では「万民のための自由と正義を備えた」という忠実の誓いが共通言語として存在していて、子供たちがこれを学校で一緒に唱えることは日常よくあることです。

また、米国憲法の前文でも「正義を樹立」、「われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保」というキーワードが明記されています。短くて平たい、流れるような英語表現にまとまっているので、これも多くの子供たちは暗唱できます。

もちろん、実現できているかは議論の余地が多いにあります。同じく前文で明記されている「国内の平穏を保障」が全く維持できていない、まさに憲法違反が、現在の米国市民の日常です。

しかしながら、Freedom、Liberty、Justiceは米国が大切にしているアイデンティティであり、それに好感を抱く人々が歴史上、世界から集まってきて、米国の活力の源泉になっていることは間違いありません。

一方、日本国憲法の前文にも、我々日本人が大切にしていることが明記されています。ただ、短くて平たい、流れるような表現とはとても言えません。法律家の契約や役所が発行したマニュアルのような文章で、子ども達(そして大人たちも)が暗唱できるとも思いません。

日本国民が主体のはずなのに、俳句や川柳が示すような日本人の魅力的な生活文化の欠片も全く感じられない文章が、日本の大切なこととして表現されている状態が長年継続されているのは極めて残念です。

まず、日本の有り方、日本として大切なアイデンティティを示す憲法を、一般国民の羅針盤として改正する議論から始めるべきであると痛感します。今回の参院選の候補の乱立や一部の当選者の質から鑑み、「民意」という表現は軽々しく使うべきではないという現実があります。

ただ、簡単なことではないものの、後世や世界へ日本として大切なアイデンティティをしっかりと伝えることができていない状態を棚上げすることは、現代の日本人が恥ずべき失態だと思います。

来年に広島で開催されるG7サミットおよび4年ごとに開催される国連SDGsサミットで、日本政府が日本のアイデンティティを、しっかりと世界へ示すことができることに期待しています。

本レターの執筆活動を開始している24年前から、何回か取り上げてきたテーマでありますが、私の考えは依然として変わりません。憲法改正の議論は、第9条からではなく、前文から始めるべきです。

□ ■ 付録:「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」■ □

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「論語と算盤」常識とはいかなるものか

智恵と情愛と意志との三者があってこそ、
人間社会の活動もでき、
物に接触して効能を現わしゆけるものである。

これからの新しい時代における日本の常識を国内外に示すための憲法改正を求めます。その前文の改正には、栄一が指摘するように日本人の智恵、情愛と意志という三本の柱で表現されることに期待したいです。その前文の検討のために、法律家や専門家だけではく、文化人なども含む、多様な知識人の民間有識者会議を政府は設けるべきでありましょう。

「渋沢栄一訓言集」国家と社会

平和の破れた暁に、
わが国はあくまでも平和を希望したなれど、
かの国が云々ゆえ、勢い止むを得ぬなどと、
ただ己を善くせんとするがごとき責任転嫁の弁解は
これすでに平和の敵である。

真正の王道、真正の文明を主義とするならば、
決して平和の破れるはずないのである。

日本が文明国として大切にしている王道とは何か。真正の王道や真正の文明を示す基礎の表現になっている確認する方が、条項改正の賛成・反対を主張することよりも日本国平和憲法の精神を維持するためにも優先度が高いと思います。

謹白

image by: JoshuaDaniel / shutterstock.com

渋澤 健(しぶさわ・けん)

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