今川義元の“売り出し”に成功した太源雪斎という名プロデューサー

Mount Fuji and the Fuji River Iron Bridge
 

そんな太原雪斎に目を付けたのが、今川義元の父にあたる今川氏親です。氏親は、息子で跡取りの今川義元の教育係兼補佐役として太原雪斎を雇おうと交渉します。二度断られ、三度目にやっと本人の承諾を得ることができました。そして氏親は若い太原雪斎を駿河に招いて今川家の最高顧問に据えました。そして氏親が亡くなり、義元が家督を継ぐと、その政治軍事の両面を太原雪斎が全面的に補佐することになりました。これが今の世でいうなら、プロデューサーになったという状況です。

家督を継いだ義元のもとで雪斎は、はじめに悪化していた甲斐の武田信虎との関係改善に務めました。義元の正室に信虎の長女の定恵院を迎え、信虎の嫡男の晴信に、都の貴族で今川家の遠縁にたる三条家の娘を周旋して甲駿同盟を成立させました。

この同盟に危機感を抱いたのが、それまで同盟関係にあった相模の北条氏綱です。甲斐と駿河が同盟すれば、相模の北条氏はひとたまりもない。だから甲斐と駿河の交通路となる富士川を制圧占領して、甲斐と駿河の交通を遮断したのです。駿河の今川にしてみれば、それは相模の北条氏の一方的な軍事侵攻ですが、北条氏の側から見れば、相模との同盟関係があるのに駿河が甲斐と同盟を結ぶということは、事実上の北条氏への挑戦であり、北条との同盟関係を破棄したのは、むしろ今川側にある、という見方になります。

ちなみにこのことは、同盟関係というものを考える時の重要な手がかりとなります。同盟関係は、情勢が変わればいとも簡単に破棄されるものだということだからです。近年においても先の大戦の末期にソ連が日ソ不可侵条約を破って日本に侵攻してきました。これを「ソ連による一方的な条約破棄だ」という人がいますが、日本が米軍に占領されれば、満州も樺太も日本も米軍に押さえられ、ソ連は太平洋への出口を失うのです。日本が強かった間は、日ソ不可侵条約でソ連の安全は図られましたが、日本が敗れれば、ソ連にとっては米軍との敵対という事態を前に手を打たなければならなくなるのです。つまり情勢が変わった。だからソ連は日本に侵攻しています。

同様に現代日本は、米国との安全保障条約下にありますが、これもまた情勢次第では、いつでも一方的に破棄される危険もあるということになります。同盟とはそういうものであるということを、我々は歴史から学ぶ必要があると思います。

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