今年10月の日経新聞の名物コラム「私の履歴書」に登場したのは、漫才師で元国会議員の西川きよしさんでした。その28回目「慰問」と題された記事に触れ、永六輔さんの刑務所慰問講演集『悪党諸君』を思い出したと語るのは、評論家の佐高信さんです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、永六輔さんが刑務所を慰問するようになったきっかけが書かれた部分を紹介。さらに派生して、映画『傷だらけの人生』で主演のヤクザを演じた鶴田浩二さんが「最も“あこぎ”なのは誰か」言い放ったセリフを紹介しています。
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菊の代紋は背負わない
10月29日付の『日本経済新聞』「私の履歴書」で漫才師の西川きよしが書いている。
ある時タクシーに乗って料金を払おうとしたら、運転手が受け取らない。それでは困ると問答の末、彼が打ち明けた。
「実は京都で刑務所にいたころ、慰問に来てくれたやすし、きよしさんに笑わせてもらったことがあって…。あのときのお礼に、ここはひとつ気分良くおごらせてや」
これを読んで私は本棚から永六輔著『悪党諸君』(青林工芸舎)を取り出した。これは刑務所慰問講演集である。
永が慰問を始めるようになったのは鹿児島の吉田勇吉という素敵なおじいさんと知り合ったからだった。立派な会社の社長で、ボランティアを手伝ったり、みんなが嫌がることを率先してやる。その家へ遊びに行って、風呂をすすめられ、おじいさんの背中にすごい掘りものがあるのを見た。元極道だったのである。
「社長さんも、そんな時期があったんだ」
「若いときよ、恥ずかしいんだよ」
「相当暴れたの?」
「刑務所に出たり入ったりすること26回」
こんなヤリトリをして、永が驚いたら、「永さん、26っていったら大したことないんですよ。大きいことやってりゃ1犯か2犯で済むんですから(笑)。26もやったってことは、出たり入ったりってことですから、早い話がチンピラですよ」こう述懐したおじいさんは特攻隊の若者たちと同世代で、彼らを見送っているうちに改心した。
「あいつらは命をかけて国を守ってる。一方おれは命をかけて男が立つ、立たないのってくだらないことをやっている。よし、やめようってなったけど、それまではひどかった」
そのおじいさんに連れられて永は鹿児島の刑務所に行った。玄関の前で彼が言った。
「ここは、オレの学校なんだよ。オレ、ここで勉強してきたから。でもね、こんなところは1回入ればいいんだ。オレみたいに何回も出たり入ったりするのはロクなヤツじゃない。だから、ここにいっぺん入ってまた来るヤツがいるから、来ないようになればいいなあと思って…」
まもなく彼が亡くなり、その遺言で永は慰問に行くようになった。これは1986年10月3日の京都刑務所での講演である。
私はヤクザについては次の話が忘れられない。鶴田浩二が主演の映画『傷だらけの人生』の一場面である。
戦時色濃くなる中で、「お国のため」を振りかざして軍部がヤクザを糾合しようとする。それに乗っかる極道もいるが、鶴田の演ずるヤクザはそのいかがわしさを嫌って、「自分たちもそれぞれの組の代紋を背負って無法なことをやるが、国家という“菊の代紋”を背負っている奴らが一番あこぎなことをする」と呟くのである。
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