「史上最低の大統領」から一転。なぜ米でカーター氏再評価ブームが起きているのか?

 

カーターは本当に「史上最低の大統領」だったのか

伝記作家のバードは「彼の大統領としての仕事ぶりはあなたの思っているようなものではない」と述べている。「彼はタフ(精神的に頑強)で、人に強い威圧感を与えた。20世紀にホワイトハウスの大統領執務室に座った人々の中で、おそらく最もインテリジェント(頭脳明晰)で、働き者で、ディーセントな(礼儀正しくきちんとした)男」で、それは彼が、南部バプティスト派の人権派神学者でマルチン・ルーサー・キング師にも影響を与えたことで知られるラインホルド・ニーバー牧師の信奉者だったことに根ざしていた。

ニクソン大統領による嘘まみれのウォーターゲート事件、フォード政権による惨憺たるベトナム戦争敗北で「米国は何でもNo.1」の幻想が地に堕ちてしまった時に、選挙戦を通じて「私は嘘をつかない」「権力は正しく用いられるべきで、そのためには既存の政界常識を無視する」と淡々と語るカーターは、誠に時代に相応しいリーダー像を体現していたと言える。

そして、彼の政権は「失敗ばかりだった」という世間の評価とは違って、エジプトとイスラエルを「キャンプデービッド合意」に導き和平を実現し、ソ連との間では「SALT II」の核軍縮交渉に合言し、またニクソン=キッシンジャーが切り開いた道に沿って78年には米中国交正常化を成し遂げるなど、多くの成果を上げた。さらに、77年に初の外国訪問先としてポーランドを選び、同国のワレサ議長率いる労組「連帯」や隣の旧チェコスロバキアの人権活動グループ「憲章77」を積極的に支援する“人権外交”を展開した。上記FTのルース記者は、それを「米国がベトナム戦争の不名誉から脱却する契機」となり、また「ソ連の平和的な自壊へとつながる導火線に火をつけた」と高く評価している。

蛇足ながら、これには裏もあって、私は必ずしも手放しで評価はしない。カーターにポーランドへの傾倒を強く勧めたのは安保担当補佐官のズビグネフ・ブレジンスキーで、彼には「故郷に錦を飾る」意識が強く、ポーランドを手始めに旧東欧に民主化運動の波を起こし、旧ソ連崩壊後はやはりポーランドを先駆として旧東欧・ソ連邦諸国をNATOに引き込んで「東方拡大」を進め、そこを米国製兵器の新市場として開拓するという米軍産複合体により与えられた使命があった。現実に、ポーランドは旧ソ連製のSu-22やMig-29などの戦闘機を投げ捨て、米ロッキード・マーティン社製の最新鋭F35戦闘機を32機購入することを決めた旧東欧で最初の国となった。このような無遠慮なNATOの東進が今日のウクライナ戦争の根本原因となっていることについては、本誌が繰り返してきた通りである。

【関連】次の戦場は「東アジア」か?日本と韓国がNATOの飽くなき東方拡大に巻き込まれる日

この記事の著者・高野孟さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • 「史上最低の大統領」から一転。なぜ米でカーター氏再評価ブームが起きているのか?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け