「史上最低の大統領」から一転。なぜ米でカーター氏再評価ブームが起きているのか?

 

イランと裏取引で「人質危機」を長期化。レーガン陣営の汚い作戦

そのように、カーターにはほどほどに評価されて然るべきところも少なくないというのに、なぜあれほど酷い言われ方をしてきたのか。そこには、イランで1979年2月にホメイニ師を担いだイスラム原理主義革命が起き、その余波で過激な学生・暴徒がテヘランの米大使館を占拠、館員52名を人質にして立てこもるという事件を利用してカーターを貶めようとしたレーガン陣営の陰謀があった――とバードは書いている。

▼革命直後から、〔共和党系外交政策マフィアの頂点に立つ〕ヘンリー・キッシンジャーや自身の安保担当補佐官〔で民主党系同マフィアの頂点に立つ〕ズビグネフ・ブレジンスキーから「打倒されたシャーの政治亡命を認め保護せよ」との働きかけがあったが、カーターは数カ月にわたりそれを拒み続けた。そんなことをすればイラン人の感情を煽りテヘランの大使館を危なくするだけだと恐れたからだ。彼は正しかった。

▼彼が渋々ながら同意しシャーをニューヨークの病院に入れた数日後に大使館は占拠され、以後444日間に及ぶ人質監禁が彼の大統領職を深く痛めつけることになった。しかしカーターはテヘランのならず者政権に対し軍事的な報復を加えることを頑なに拒んだ。それは政治的には〔つまり世論や議会の拍手喝采を得るためには〕簡単に成しうることではあったが、それが人質たちの命を危険に晒すであろうことは分かっていた。外交を働かせるべきだと彼は主張した。

▼そして今日ではかなりの証拠が上がっていることだが、レーガン陣営のキャンペーン責任者であるビル・ケイシーは80年夏にマドリードに密かに旅をし、そこでホメイニの代理人と会い「人質危機」を長引かせるよう働きかけた。もしこれが本当なら、このような人質交渉への妨害工作は、カーターが選挙戦終盤に当たる10月にも「人質解放」のサプライズを設定して選挙戦を一気に有利に運ぶことを阻止する汚い政治の見本であり、米国人人質の命を弄ぶ下品な手段であった……。

ルースも同様のことを書き、さらにこうした裏取引を通じてできたレーガン陣営とイラン革命政権との人脈が、数年後の「イラン・コントラ事件」に繋がったのかも知れないと推測を付け加えている。イラン・コントラ事件とは、80年から88年まで、ちょうどレーガン政権の2期8年間続いたイラン・イラク戦争に際して、米国は表ではイラクに全面的に肩入れしていながら、裏ではCIAを通じてイランにも米国製武器を提供し、その売り上げを闇に回してニカラグアの左翼革命政権打倒のための右翼ゲリラ支援に充てたという、二重三重に薄汚い秘密工作で、これを取り仕切ったのがフォード政権のCIA長官でレーガン政権の副大統領だったブッシュ父であった。

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このように、カーターは軟弱で大使館人質事件を444日間も長引かせて米国人の命を危険に晒したのに、レーガンが大統領に就任したらその翌日に彼らが解放されたのだからレーガンは大したものだ――というのは作られた神話である。

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