これが現実。どんなに「ずさん」な保育でも子を預けるしかない都市部の親

Preschool classroom with yellow chairs and table
 

また「子どもを育てた経験があるから、保育もできるだろう」という考えは、かなり乱暴である。
それは「小学生相手の家庭教師をやっていたから、小学校で授業をしても大丈夫」というのと同程度の認識である。
やってみてどんな悲惨な結果になるかは、やった人なら知っている。
一人を一人で相手にするのと、一人で集団を相手にするのでは、必要な技能と知識が全く異なる。

仕事が忙しい親にとってはとにかく時間いっぱい預かってもらえることが重要なので、保育内容は後回しになる。
内容がどうであっても、預かってくれるなら助かる。
すると、残念ながらずさんな「保育」が行われるところも出てくる。

これが、保育という重要な分野で行われている。
ぐにゃぐにゃの柔らかい状態の子どもたちへの、保育の影響の大きさは測り知れない。
(年齢による喫煙の被害の大きさの違いのようなものである。)
「入れればいい」というのは、仕事をする親の論理としてはその通りだが、その代償は大きい。

どんなに愛情をもって我が子を育てているつもりでも、ついいらいらしてしまうというのが、人間の心情である。
それが、他人の子どもを複数いっぺんに預って、簡単に育てられるはずがない。
だからこそ「保育士」という資格にも意味があるのである。
(この資格を簡単に出してしまう場合の被害の大きさも言わずもがなである。)

ただ、保育士一人で複数の0歳児の保育をしている悲惨な現場を考えてみる。
そうすれば、いかなプロといえど、問題が全く起きないと考える方が難しい。
一人一人への対応も、大雑把にならざるを得ない。
物理的に見て対応する時間がないのである。

更に言うと、人員不足になるほど、本来「合格ライン」に届かないはずの状態であっても、採用になってしまう。
全国の教員採用の抱える問題と同じである。

首都圏のある保育園に勤める知人に聞いた話では、0歳時が自分で哺乳瓶を持って飲めるようになるという。
あまりの数の多さに、抱っこして飲ませることができず、寝っ転がって「自分で飲むしかない」状況になるからである。
驚愕である。

そして、みんなにテレビなどを観させて、一日を過ごさせる。
スマホやタブレットを与えている時と同じで、これで「大人しく」なる。
ある「一斉保育」の現場の現状とのことである。

 

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