阪神タイガースには本当に「カーネル・サンダースの呪い」がかかっているのか?

BANGKOK ,THAILAND- May 20 ,2017: Colonel Harland Sanders statue standing in front of Kentacky Fried chicken restaurant (KFC)
 

カーネル・サンダースことハーランド・デーヴィット・サンダースは1890年、意外にもケンタッキー州の生まれではなく、インデイアナ州クラーク郡のヘンリービルに生まれました。6歳で父親を亡くし、貧しかった家庭を支えるため10歳から農場で働きます。14歳になると学校を退学し、農場、市電の車掌を皮切りに、働きに働きます。1年程の軍役を経験し、40以上の職を転々としました。

彼は客が求めているものは何かを貪欲に追及します。目をつけたのはフライドチキンでした。何度も試行錯誤を繰り返し、絶妙のスパイスとハーブの調合に辿り着き、最新式の圧力鍋で今日私たちが味わうケンタッキーフライドチキンを完成させます。

この時、サンダースは65歳、残りの人生は年金生活でもいいかと弱気にもなりました。彼は店を売却、ところが目論んでいた売却費の半分にも満たない金額でした。税金、借金を返済したらほとんど残りませんでした。おまけに支給される年金はとても生活できるような金額ではありません。

百折不撓の人カーネル・サンダースは己を奮い立たせます。金はなくとも試行錯誤の末に完成させたフライドチキンのレシピがある、彼はこのレシピを金にしようと思い立ちました。オリジナルスパイスを提供し、調理法を伝授して契約料を受け取る、サンダースは高圧釜とスパイスを車に積み、アメリカ中のレストランを廻りました。車の中で寝泊まりし、試作品のフライドチキンが1日の食事でした。アポイントもなく飛び込みで訪れるため、門前払いは当たり前、話も聞いてくれない毎日でした。

サンダースは粘り強くフライドチキンを売り込みます。レストランの裏口で従業員たちに試作品を食べてもらい、調理場を借りて無償でフライドチキンをその店の客に提供しました。こうした地道な営業活動により、サンダースのフライドチキンは評判を呼び契約を求めるレストランが増えていきました。

こうしてサンダースはケンタッキー・フライド・チキンのフランチャイズ化に成功、74歳になってフランチャイズ権を売却した時には、600もの店舗を数えました。彼は90歳で亡くなるまで、ケンタッキー・フライドチキンの顔として世界中の人々に親しまれました。

さて、今シーズンの阪神タイガース、「カーネルサンダースの呪い」から脱却できるでしょうか。

image by: Ratana21 / Shutterstock.com

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