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砂漠を放浪、秘書から弁護士へ、大の恩人だった議員の死…。波瀾万丈の元明石市長・泉房穂さんが「何でもOK!」と思えるようになったワケ

元明石市長で現在さまざまなメディアに登場し活躍している泉房穂さん。そんな泉さんの有料メールマガジン『泉房穂の「何でもOK!」』が、去る10月6日に創刊されました。前回、パチンコ屋さんで働いていた過去などについておうかがいしたインタビューの第三弾をお届けいたします。『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』など次々と出版される本などが話題になっている、いま最も日本国民の期待を背負っている人物泉房穂さんは、どのようにして政治の世界に入っていったのでしょうか? 

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【第一回】元明石市長の泉房穂さんが「燃やしてまえ」発言の炎上騒動を、今になって「ありがたい」と思うワケ
【第二回】元明石市長の泉房穂さんがNHKを辞めテレ朝に転職するまで「パチンコ屋」で働いていた理由

東大を「退学」して“放浪の旅”へ

泉房穂(以下、泉):実は東大時代、学部長と喧嘩してしまって退学届を出して放浪の旅に出かけていたことがあるんですよ。バックひとつだけ持ってインドに行ったんですけど、ガンジス川で亡くなった人を燃やす様子を目の当たりにして「達観」してしまって。当時いろいろ挫折感に苛まれていたから、日本に帰りたくなくなっていたんです。これからどこへ行こうかなと思って靴を投げたら、靴が西を向いたので「ほな、西に行こか」と、インドから西に向かったんですよ。でも時計も地図も持っていなかったから路頭に迷ってしまって。あとから分かったんですが、タクラマカン砂漠で路頭に迷っていたことが分かりました(笑)。

──地図も持たずにインド旅行するのも凄いのですが、そのまま西へ向かって砂漠で路頭に迷うというのも、またハードな旅ですね。

:何も持たずに砂漠に突入するという、今じゃ考えられませんよね。どないしよう、このまま生きて帰れないんじゃないかと。仕方ないから乗合バスを乗り継いで、村から村へ移動し続けました。気がつくとイランに入っていて、これはテヘランまで行かないとしゃあないなと「テヘラン、テヘラン!」言うてたら、テヘランそこからむちゃくちゃ遠かったんですよ(笑)。そこから4〜5日かかってテヘランにたどり着きました、寝袋ひとつで。しかし生命力あるよね(笑)。とにかく日本へ帰ろうと思って、そこからギリシアまで抜けて、そこから格安チケットで帰国しました。

──日本に帰国後、そのまま東大は退学してしまったんでしょうか?

:ところが、喧嘩した学部長が退学届を受理せずに、そのまま保留で「預かり」という形にしてくれていたんです。それも知らずに、東京の家を引き払って明石に帰っていたんですが、半年くらい経って実家に電話がかかってきて「泉くん、今何してる?」って。「いや、自分はもう学校辞めたんで、地元で学習塾を作って生活します」って言ったら、「泉くん帰ってきなさい。退学届は受理していない、まだ君には仕事が残っているんだ。恥ずかしいかもしれないけど帰ってきなさい」と。その言葉に感動して涙を流して、東大に戻りました。東大は結局5年かかって卒業して、NHKに就職したんです。そこから、パチンコ屋のモップ掛けを経てテレビ朝日に入るわけです(笑)。

──そして、いよいよ政治の世界に入るわけですね。

人生の恩人・石井紘基さんとの出会い、そして弁護士へ

:高田馬場駅前にある芳林堂書店で、石井紘基さん(衆院議員、2002年没)の本と出会ったんです。その本に感動して石井さんに手紙を書いたら、本人から返事が来て「会いたい」って手紙に書いてありました。すぐに会いに行ったら「泉くん、選挙を手伝ってほしい」と。「あなたには、私なんかより他にもっと立派な人がいるんじゃないですか」と言ったら「一緒にやってくれる人はいないんだ」と。その場で「分かりました」って即答しました。仕事を辞めて、石井紘基さんの秘書として1年間一緒に選挙活動をすることになったわけです。

──秘書として選挙活動をすることになったのが、政治の世界に入ったきっかけだったんですね。

:ところが1年後の選挙で当選させることができなくて謝ったんです。「あなたを当選させることができなくてすみません、次はあなたを絶対に通します」と言ったら、「君をこれ以上引っ張り込むわけにはいかない。泉くん、騙されたと思って司法試験を受けなさい」と。きちんと社会というものを学んで、君がいつか立候補したときに落ちても大丈夫なようにしておきなさい、と言ってくれたんです。そこで急遽、司法試験の勉強をはじめました。そして、石井さんのおかげで弁護士になることができたんです。

──なかなか言えない言葉ですよね。自分の秘書を辞めさせて、司法試験を受けろと。泉さんの将来まで気づかって弁護士の道を勧めたわけですね。

:当時、僕は26歳くらいだったんですが、いみじくも石井さんから「君はいずれ40歳くらいで政治家になるから急ぐな。必ず周りから声がかかる、その時を待て」と。その後、僕が39歳の時に、石井さんは自宅前で政治団体の男に殺害されてしまいました。その後、周囲から元秘書だった僕に立候補を勧める声があがって、本当に40歳で出馬して衆院議員選挙で初当選しました。自分でも信じられませんが、尊敬している議員の秘書になり、その人の勧めで弁護士になり、その方が亡くなって、自分が議員に当選するという経験をしました。

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──本当に、人生何が起きるか分かりませんね。映画やドラマのようなお話だと思いました。

:それこそ、創刊したメルマガの名前じゃないけど「何でもOK!」という考え方になったのは、こうした普通ではない人生経験を積んできたからですね。職業は転々としているし、人生いろいろあったけど、根っこの部分は変わっていないんです。世のため人のために何かしたい、これは昔から同じですね。ここまで来たら、もう何でもかかってこいと。「何でもOK!」だと。

──まさに、波乱万丈の人生を経験してきた泉さんだからこそ説得力がある言葉ですね。

泉さんが有料メルマガをはじめたワケ

──さて、今回『泉房穂の「何でもOK!」』という有料メルマガを創刊したきっかけは何だったのでしょうか?

:そこはやっぱり「可能性を広げたいから」ですね。47歳で明石市長になった2011年当時、世の中的にはTwitter(現X)がすでに広まっていたんですが、まずは市長として明石市を変えることが優先だったので、あえてSNSには手をつけなかったんです。明石市長として10年かけて、もうやるべきことは十分やったと自分では思ったので、「優しい社会を明石から」という目標を「明石から全国に広げる」に舵を切ることにしました。他の自治体や国でも、明石ができたんだから同じことができる、と横展開を始めたんですね。そこで2021年の12月21日の「明石市旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」の可決を見届けて、ここから「炎上しても構わない」とTwitterを始めることにしたんです。

それまではSNSで「発信」は一切してこなかったんですね、一方的に叩かれていただけで(笑)。これからは自分から「真意」を伝えていこうと思っています。市長を辞めるまではTwitterだけだったんですが、もっと幅を広げようと、今度は人生2周目のスタートである還暦の誕生日にYouTubeを始めました。そして今度は、どんな質問でも打ち返す有料メルマガをスタートしようと決めて創刊したんです。

──Twitter、YouTubeを始めるにはそれぞれに「思い」があったんですね。そして、新しい可能性としての有料メルマガがスタートしました。

:メルマガでは、もっと密な関係、濃い関係の中で、新しい出会いや新しい関係性に期待しています。有料が良い悪いというわけではなくて、お金を取るから良い面もあると思うんです。閉じた空間、閉じたネットワークの中でできることにも意味があると思っています。このメルマガはQ&A形式だから、今から読者とのキャッチボールが楽しみですね。新しいことが好きだし、困難が好きなので「どんなボール球を投げられても打ち返したるぞ」と(笑)。逆にいろいろなボールを投げてもらった方が、僕も気づくことがあると思うんです。

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いま話題の「大阪万博」について

──では、最後に今の世の中で気になるニュースについてお聞きしてもよろしいでしょうか。いろいろ物議をかもしている大阪・関西万博についてどう思われますか?

:もう後戻りはできないんでしょうけど、率直に言って「いつの時代やねん!」という感想ですね。かつてのような高度経済成長期の時代に大型イベントに向けて国威発揚、そしてインフラ整備をやろうという手法はあったと思うんです。1970年の大阪万博に合わせる形で山陽新幹線が通ったときは感動しましたよ。右肩上がりの時代であれば大型イベントは一定程度の効果はあると思いますが、もうインフラ整備もだいたい終わっていて、経済も右肩下がりの状況ですから、大型イベントは時代に合っていないと思いますね。気分も盛り上がらないし、費用ばかりがふくらんで、そこに投入される税金は国民が負担することになる。しかも万博で作った箱は潰すしかない。作って潰すために税金を使うことになるのは分かっているじゃないですか。

──たしかに万博は一過性の大型イベントですから、何も残らなくなりますよね。あるのは国民の負担ばかりで。

:そのことに国民が冷めているんだと思いますよ。それでも、マスコミが一緒になって盛り上げようと感動ドラマを作ってますけど、大手メディアはすべて協賛スポンサー、つまり一味ですから。なので「必ず成功」と報道される。要はモノを作ってお金もらって、壊してお金もらうことが目的だから「万博を開催する」ことが彼らにとっての「成功」なんですよ。客が来るとか来ないとか、国民みんなが喜ぶとか関係ないわけです。維新が子育てや教育に力入れるのは賛成やけど、古い政治を踏襲しているやり方を続けていることについては残念ですね。

メルマガ『泉房穂の「何でもOK!」』への意気込み

──では最後に、メルマガをこれから読まれる読者のみなさま、そしてこの記事を読まれているネットユーザーの皆様へメルマガへの意気込みをお願いいたします。

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:タイトル通り「何でもOK」ですから、どんな質問でも投げてもらったら、ちゃんと打ち返します。どうぞお気遣いなく、どんな失礼な質問でも大丈夫です(笑)。今回は有料メルマガですから、有料の元はとってほしいと思います。自分もきちんと答えますから、気づきとか発見とか勇気とか、金額以上のメリットを得てほしいと思います。いつも「言いたいこと言ってる」と思われているんですけど実は嘘で、市長時代は言いたいことの1割、TwitterやYouTubeで3割、今回のメルマガで5割はいきたいなと。これ以上の割合で本音を言ってしまうと社会生活ができなくなってしまうから、そこはご勘弁ください(笑)。

──炎上していた市長時代の5倍も「本音」が聞けるということで、大変楽しみにしています。本日はありがとうございました。


波乱万丈、疾風怒濤の泉房穂さんのインタビューはここまで。切れ味鋭い泉節が毎号楽しめる有料メールマガジン『泉房穂の「何でもOK!」』では、皆様からのご質問をお待ちしております。メルマガにご登録のうえ、泉房穂さんとの質問・回答のキャッチボールをお楽しみください。

● 質問受付⇒ https://forms.gle/op3py2t41jzykeDv8

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image by: MAG2 NEWS編集部

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1963年 明石の漁師町の生まれ。明石西高校、東大(教育学部)卒業後、NHKディレクター、石井紘基氏の秘書などを経て、弁護士。衆議院議員を経て、社会福祉士の資格取得。2011年より12年間、明石市長。柔道三段、手話検定2級、タコ検定達人。

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【著者】 泉房穂 【月額】 ¥550/月(税込) 【発行周期】 毎週 金曜日

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