ただの“搾りカス”?世間に流通する「ノウハウ」との正しい付き合い方を文筆家が考察

 

■ノウハウは無価値か?

だとすれば、他人が提示するノウハウにどんな価値があるのでしょうか。少し気になってきます。

Knowledge-howを得ただけでは、Know-howは得られず、実践がどうしても必要で、しかもそのKnowledge-howは、完璧な実践を保証するものではない。

そんな情報なんてほとんど無価値ではないでしょうか。まさに「搾りかす」です。

とは言え、まったく無価値だと断じるのは早計でしょう。

第一に、提示されたKnowledge-howからKnow-howをリバースエンジニアリングするアプローチが考えられます。「この工夫は、こういう感覚があるからやっているんだな」と推測するわけです。非常に高度な情報の使い方です。

ただし、十分な推論が必要なのと、少なくとも自分の中にその分野に関する一定の身体知がなければそもそも想像しようもない、という問題があります。その意味で、中級者以上の情報の使い方です。

第二に、問題発見のヒントとして使うアプローチがあります。たとえば「大量のファイル名を書き換えるのは面倒なので、このプラグインを使います」というノウハウ(Knowledge-how)があったとしましょう。それを見聞きしたら、

  • 大量のファイル名を書き換えるという作業が発生することがある
  • それは機械的な処理で解決できる

という二つの情報が手に入ります。

これまで手動でファイル名を書き換えていた人は、そこから何か機械的なもので解決できないかを考えるようになるでしょう。また、そうした作業をまったくやってこなかった人でも「ファイル名って書き換えられるんだ」というコンピュータ利用における新しい情報が手にできることもあります。

つまり、最終的にそこで紹介されているプラグインをまったく使わなくても、役立つ情報は得られているわけです。

とは言え、これもまた情報を受けとる人の姿勢が問題となります。「教えられたプラグインをインストールすればいいんだ」とだけ考えるならば、こうした枠外の情報は得られません。その意味で、どういう姿勢を持つのかが重要な鍵を握っています。

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