UFOと戦争、あるいは“空飛ぶ円盤”櫻井よしこと三島由紀夫の「愛国」をめぐる相違について

 

三島由紀夫と坂口安吾の戦争論

そして、こんなにワンダホーな仮説を立てちゃう荒井欣一会長と同じく、三島由紀夫から敬愛されてたのが、そう、坂口安吾なのだ。これは『三島由紀夫全集』第29巻の「評論」の中に収められてるけど、三島は「私の敬愛する作家」として坂口安吾の名を挙げて、以下のように絶賛してる。

戦後の一時期に在つて、混乱を以て混乱を表現するといふ方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。 氏はニセモノの静安に断じて欺かれなかつた。言葉の真の意味においてイローニッシュな作家だつた。氏が時代との間に結んだ関係は冷徹なものであつて、ジャーナリズムにおける氏の一時期の狂熱的人気などに目をおほはれて、この点を見のがしてはならない。

もの凄い持ち上げようだけど、アメリカで「ケネス・アーノルド事件」が起こったちょうど1年後の1948年6月、当事38歳だった太宰治が玉川上水で入水心中をした頃、3歳年上だった坂口安吾は、ヒロポン中毒の上に睡眠薬シクロバルビタールや覚醒剤アンフェタミンも飲みまくる重度の薬物中毒だった。それでも、ヒロポンを服用しながら何日間も眠らずに原稿を書き続け、次々とヒット作を生み出していた。

坂口安吾の薬物中毒はどんどん進行し、幻覚や幻聴まで起こるようになった。檀一雄の自宅に居候させてもらってる時には、近所の食堂や蕎麦屋から100人前のライスカレーを出前させて、庭をライスカレーだらけにするという「ライスカレー百人前事件」を巻き起こした。それなのに、この時期にあたしの大好きな短編小説『夜長姫と耳男』を執筆してるんだよね。さらに言えば、坂口安吾は昭和24年(1949年)から昭和29年(1954年)までの5年間、最も薬物中毒が酷かった時期に、芥川賞の選考委員をつとめてるんだよね。いろんな意味で凄すぎる。

で、そんな坂口安吾がヒロポンを服用しながら、芥川賞の選考委員もつとめながら書いた『武者ぶるい論』には、UFOが飛ぶと始まるという「戦争」について、こんなふうに書かれてる。

デカダンの学者は、黄河の洪水を天命と見て、だいたい支那というところは百姓どもが人間を生みすぎて困る国だ。洪水のたびに五十万ぐらいずつ死んでしまうのは人口調節の天命であるから、天命に逆らわん方がよろしい、という説を唱えた。唱えた当人は太平楽かも知れないが、天命によって調節される五十万人の一人に選ばれるこッちの方は助からないから、同じ運命論でも、水と地を争わず、洪水は洪水の勝手にまかせ、人間はさッさと逃げてよそへ住みつけという穏やかな方が好ましい。

私は戦争というと黄河を思いだして仕様がない。同じぐらいの怪物だ。そして、黄河学者の名論や遺訓が大そうふさわしく役に立つ。水と地を争わず。これを戦争の場合は水を火の字に置きかえればよい。この火を防ぐのはムリであるから、さッさと逃げる。さもなければ、手をあげる。抵抗したってムダである。人口調節の天命とみるデカダン派は将軍の思想で、東条流。人口調節は戦争よりもコンドームの方が穏当(おんとう)だ。けれども避妊薬を国禁しても、戦争を国禁したがらない政治家や軍人が多いから、庶民どもは助からない。東条流という奴は、将軍自体にとっては太平楽なものだ。自分自身だけは人口調節の天命によって指定された一員に数えていないのだから。

坂口安吾いわく、大洪水のような天災も、人間が始める戦争という人災も、どちらも増え過ぎた人口を調節するための天命、つまりは自然の摂理だという。そして、そんなハタ迷惑にものからは、トットと逃げるに限ると言っている。さらには、人口を調節したいなら戦争よりコンドームのほうが道理にかなってると言っている。そして、戦争を始める政治家や軍人は、自分を「人口調節のために殺される側の1人」とは数えていないと言っている。

一方、坂口安吾を敬愛していた三島由紀夫は、思想的には旧型の保守で、アメリカから押し付けられ、9条によって骨抜きにされた憲法などトットと改正し、自衛隊を日本国軍とし、国軍の軍人たちには武士道にも通じる自己犠牲の精神を注入すべきだと主張していた。あまりにも三島由紀夫らしい論調だけど、それでも三島は、一般市民を戦争のコマとして利用する徴兵制には反対で、戦争は軍人だけで行なうべきだとも主張していた。

この記事の著者・きっこさんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • UFOと戦争、あるいは“空飛ぶ円盤”櫻井よしこと三島由紀夫の「愛国」をめぐる相違について
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け