UFOと戦争、あるいは“空飛ぶ円盤”櫻井よしこと三島由紀夫の「愛国」をめぐる相違について

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「あたしは、思想の右左はともかくとして、『戦争が起こった時に、一般市民、特に少年たちまで銃を持たせて戦場へ引きずり出すべきなのか?』という点が考え方の分かれ道だと思ってる」――今回はいつもと趣向を変えて、『きっこのメルマガ』著者で人気ブロガーのきっこさんによる随想をお届けします。きっこさんの関心は、空飛ぶ円盤から昭和期文学、そして現代政治へ。自衛隊の日本国軍化を主張し、最期は市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた作家の三島由紀夫氏と、「あなたは祖国のために戦えますか」とXに投稿して炎上したジャーナリスト櫻井よしこ氏の違いとは?

「戦争の兆し」と空飛ぶ円盤

今回は「風が吹けば桶屋が儲かる」的なタイトルをつけてみたけど、これはあたしが考えたんじゃない。女優の故・坂口良子の娘の「お騒がせ姉さん」こと坂口杏里‥‥に名前が似てる坂口安吾の短編エッセイ『武者ぶるい論』の冒頭の次の一節が元ネタだ。

妖雲(よううん)天地にたちこめ、円盤空をとび、巷(ちまた)の天文家は戦争近しと睨んだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。どうなろうと運命だから仕方がないという考えは私の持病なのだから。もっとも、運命とみて仕方がねえやと言うだけで、火の子だの地震だの戦争に追いまくられるのが好きな性分ではない。

この作品は、坂口安吾の『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』(岩波文庫)に収められてる短編で、昭和26年(1951年)2月の「月刊読売(号外)」に発表された作品だ。で、この冒頭の一節、坂口安吾の個人的なスタンスは置いといて、ここで注目すべきは、坂口が「巷の天文家」と呼ぶ人たち、今で言えばテレビで好き勝手なことを言い散らかしてるコメンテーターみたいな「自称専門家」たちの認識だ。

敗戦後5~6年ほど経った時期という当時の背景を踏まえれば、ほぼ100パーの国民が「もう戦争などコリゴリだ」と思っていただろう。そんな時に、空一面に怪しげな暗雲が立ち込めれば、「自称専門家」たちがそれを「何らかの大災害の予兆」と捉え、「また戦争が起こるんじゃないのか?」と予想するのは普通の流れだ。でも、ここに「円盤空をとび」という突飛な文言が挿入されてることに注目したい。

それで、あたしは調べてみた。そしたら、とても興味深いことが分かった。当時は、まだ「UFO」なんて言葉はなくて、アメリカでは「Flying Saucer(空飛ぶ皿)」と呼ばれてて、これを日本では「空飛ぶ円盤」と呼んでいた。そして、坂口安吾がこの『武者ぶるい論』を書いた1950年代前半は、アメリカを始め世界で第1期の「空飛ぶ円盤ブーム」が始まった頃だったのだ。

空飛ぶ円盤と日本人

‥‥そんなわけで、この「空飛ぶ円盤」という呼び名が日本に広まったのは、1947年6月24日にアメリカのワシントン州で起こった「ケネス・アーノルド事件」が発端だった。ケネス・アーノルドという男性が、ワシントン州のカスケード山脈の上空を自家用飛行機で飛行していた時、北から南へ向かって高速で飛行する9個の奇妙な物体を目撃したと言う。そして、それらの物体が平たいお皿のような形状だったというアーノルドの証言を受けて、アメリカのマスコミは「Flying Saucer(空飛ぶ皿)」と命名して大々的に報じた。

実は、この前日に米海兵隊の輸送機がこの空域で消息を絶っていて、発見者には5000ドルの報奨金が用意されていた。アーノルドは、この報奨金を目当てに、山中に墜落したであろう輸送機を上空から探すために、この空域を飛んでたわけだ。で、輸送機が消息を絶ったエリアで奇妙な物体を目撃したというアーノルドの証言から、マスコミは「この奇妙な飛行物体が輸送機の消失に関係しているかもしれない」という論調で報じたため、このニュースに全米が飛びついた。

後に、この事件が起こった「6月24日」が「UFOの日」に制定された。そして、その後は北米各地で「空飛ぶ円盤」の目撃情報が相次ぐようになった。中でも有名なのが「ケネス・アーノルド事件」の1カ月後の1947年7月、ニューメキシコ州ロズウェル付近にUFOが墜落して、その残骸と乗っていた宇宙人を米軍が回収したとされる「ロズウェル事件」だ。後から振り返ると、信憑性のない怪しげな事件ばかりだけど、当事のアメリカ人たちは、これらの事件を簡単に信じちゃったのだ。

日本は敗戦後の1945年9月から1952年4月まで、アメリカが主導する連合軍の占領下に置かれてたから、これらのニュースは日本でも進駐軍によってリアルタイムで広まった。そして、当事の日本人たちも簡単に「空飛ぶ円盤」の存在を信じちゃった。さらには、今なら「ソ連(当時)が秘密裏に開発した最新鋭機」とか「未来の地球から来たタイムマシン」とか、いろんな想像をするけど、当事は、アメリカ人も日本人も「人類より科学が発達した宇宙人の乗り物」というド直球の想像一択だった。

で、アメリカ人や日本人が「空飛ぶ円盤」を「宇宙人の乗り物」と信じ始めた次に浮上したのが「宇宙人は何をしに地球にやって来たのか?」という疑問だった。そして「宇宙人は地球人と友好関係を築くためにやって来た」という性善説と、「宇宙人は地球を侵略しに来た」という性悪説が対立するような世論が形成されて行った。そんな中、もっともらしく広まったのが、「空飛ぶ円盤」の目撃例がちょうど世界各地で戦争が繰り返されていた時期だったため、「宇宙人が地球を侵略する上で、地球人の戦力を調査に来た」という説だった。

‥‥そんなわけで、ここで話はクルリンパと坂口安吾の『武者ぶるい論』に戻るけど、特に日本人はアメリカ軍にコテンパンにやられた直後だったため、性善説よりこちらの「侵略説」を信じる人が増えてしまった。その結果、まるで天気予報のように「空飛ぶ円盤が飛んで来ると戦争が始まる」というトンデモ論がまことしやかに広まり、ふとした時に空を見上げる人が急増したという。坂口安吾は、そんな世間の風潮を冷やかし半分にエッセイに取り入れたんだろう。

ま、こうしたトンデモ論を簡単に唱えたり信じたりしちゃうのが一般大衆の性(さが)なんだけど、それは人間のDNAに刻まれた「自己防衛」を主とする動物的本能によるものだ。人間は正体不明の相手と遭遇した場合、まずはその相手が自分にとって敵か味方かを見定める。だから、敗戦直後の日本では、この「空飛ぶ円盤」を「敵」と見る人が多かったわけだ。

三島由紀夫と葉巻型UFO

だけど、その一方で「空飛ぶ円盤」を「味方」と見る人も一定数はいた。そうした人たちの多くは、幼稚な陰謀論を鵜呑みにする人たちとは一線を画した、もっと知的好奇心の高い人たちだった。そのため、まずは基本に立ち返り、「空飛ぶ円盤とは何なのか?」「本当に宇宙人の乗り物なのか?」「そうだとしたら、その宇宙人はどこの惑星から来たのか?」など、「空飛ぶ円盤」の観測や研究をし始めた。

その第一人者が、大正12年(1923年)、東京に生まれた荒井欣一だった。東西冷戦の時代、荒井欣一は世界平和のために高度な科学力を持った「宇宙人」の存在が不可欠と考え、『武者ぶるい論』から4年後の1955年、全国初の研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会(Japan Flying Saucer Research Association)」を設立した。

すると、さっきも書いたように、当時は第1期の「空飛ぶ円盤ブーム」だったので、次々と入会する人が現われ、会員数は1000人を超えるほどになった。今は、人気アイドルがツイッターやユーチューブを始めると、アッと言う間に何十万人ものフォロワーがぶらさがる時代だけど、当事はネットなどなく、現金書留で入会金や会費を送って入会してたのだから、この1000人はとても大きな人数だ。

その上、さらに凄いのが、その会員たちの顔ぶれだった。もちろん、この1000人のうちの9割以上は一般人だけど、中には著名人たちも数多く名を連ねていた。敬称略でザッと挙げると、三島由紀夫星新一新田次郎石原慎太郎糸川英夫黛敏郎‥‥などなど、他にもたくさんの著名人がいた。あたしとしては、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれ、JAXAの初代はやぶさが探査した小惑星「イトカワ」の名にもなった糸川英夫博士も会員だったことに、何よりも驚いた。

ちなみに「日本空飛ぶ円盤研究会」の設立後、早い時期に入会した会員番号12番の三島由紀夫は、とても熱心な会員で、荒井欣一会長によると、定期観測会を一度も休まず、毎回大きな望遠鏡を担いでやって来たと言う。三島由紀夫がどれほど「空飛ぶ円盤」に夢中だったのかは、設立2年後の1957年に、研究会の機関誌『宇宙機』に寄稿したエッセイの冒頭を読めば分かると思う。

これからいよいよ夏、空飛ぶ円盤のシーズンです。去年の夏は、熱海ホテルへ双眼鏡ももって行って、毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいていましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした。

さすがは「世界の三島」だ!夏が空飛ぶ円盤のシーズンだと言い切ってる!もしも三島が俳人だったら「空飛ぶ円盤」を夏の季語に定めてたかもしれない!そして、それだけでなく、この時代に、すでに「UFO」という言葉を使ってる!

でも、これは「ユーフォー」じゃなくて「ユーエフオー」と読む。あたしが生まれた頃に放送してたイギリスのテレビドラマ『謎の円盤UFO』も「ユーエフオー」だった。そもそもの話、「UFO」を「ユーフォー」と読むのは、ピンクレディーやカップ焼きそばに象徴されるように世界で日本だけで、アメリカでもイギリスでも「UFO」は「ユーエフオー」だ。

ま、それはそれとして、このエッセイから3年後の1960年5月、三島由紀夫は大田区の自宅の屋上で、妻の瑤子(ようこ)と空を観測してて、ついに念願の「空飛ぶ円盤」を目撃したのだ!‥‥とは言っても、それは「円盤」じゃなかった!ナナナナナント!「葉巻型の母船」だったのだ!

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