証拠品に「添え書き」をするという非常識
一方で、本件では、「きょうこそころす」と書かれたノートの切れ端や鉛筆の芯が使われている。報告書によれば、ノートについては他児童らのノートをチェックしたということであったが、詰めの甘さもあるだろう結局誰がやったのか不明だったわけだ。
これらを徹底して調査すれば、言い訳がつかない証拠が見つかったかもしれない。
ただし、学校の教員は証拠保全や現場確保というような捜査の手順や重要な行為等は知る由もない。本件においては、給食に混入していたという「青い鉛筆の芯」は保存されておらず、脅迫文言の紙片は教員によって言葉が書き添えられていたという。習ってなかったようなことでも、ちょっと想像すればわかることだろう。証拠品に添え書きするバカはそうそういないだろう。
本来であれば、指紋がつかないようにビニールに保管するはずだ。
平均的な学校やその調査の態様からすると、聞き取りは結構頑張った方なのかもしれないが、保護者の対応や状況報告などの対応をしなかったことなどで被害児童の精神的苦痛がより強くなってしまった。特に、短期間に集中的に被害が生じると、大人であっても、大人の中でも鉄メンタルと言われるような人物でも、見てわかるほどに精神的混乱が生じる。
普段私は様々な相談事を聴いているが、例えばトラブルの世界を職業としている人でも、普段とは全く異なる様子となり冷静な判断ができなくなるほどだ。
短期集中した被害は極めて危険な攻撃であり、心を深く傷つけるし、それは一生残る傷だとも言える。
加害者脳はケロッと忘れるのが当然だと思うだろうが、それは心の欠落があるのかもしれない。
「具体的な対応マニュアル策定の提言」の物足りなさ
この福岡市の小学校の報告書では、保護者への対応不備や初動の遅れ、警察連携などがされていないなど多くのことが指摘され、その上で、対応のマニュアルなどの策定を求め、提言としている。
特に被害児童のケアをしていなかったという指摘が報告書ではされているのだが、いったい何をしたかったの思えるほど、学校の対応は杜撰だったのだろうと思うのだ。
それは、具体的な対応マニュアルというより、それ以前の他人を慮る気持ちからやり直す必要があるだろうと思えるほどだ。
確かに具体的対応マニュアルを策定し、これに沿った研修を行い、一定レベル以上に対応できる力を養うことは重要だが、マニュアルがあれば、なんとなくソツなくこなせるとなって、とりあえずこの通りやれば、後々問題にならないという意図で動きそうで怖いのだ。
つまり、結局のところ、ほとんど限界になっている現場の力をより充実させようというのは、現実可能なように見えて、もはや余裕がない現場では機能しない上、現場の疲弊は計り知れないようになり、非現実的対策になってしまう。確かに杜撰な対応はすぐさま変えるべきだから、調査報告書を作った第三者委員会の提言は誤りではないと思うが、問題の根本にマッチした現実対策となると、少々物足りなさがあると思うのだ。
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