なぜ米国発のキャンセルカルチャーは「日本人の癪にさわる」のか?有色人種差別から動物の権利まで 滲むカルト性

 

歴史修正主義としてのキャンセルカルチャー

その「動物権」の成り立ちについて語る前に、まずは「人権」のおさらいをしておこう。

何度も書いたことだが、「人権」という言葉はフランス革命の「人権宣言」から発生したものであるが、ここで認められたのは男性の権利だけであり、女性の人権は認められていなかった。

1789年8月に採択されたフランス人権宣言と、1776年7月に採択されたアメリカ独立宣言は共にイギリスの哲学者ジョン・ロックの思想の影響を受けており、内容は非常に似ているとされる。

アメリカ独立宣言の冒頭には、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と述べられ、この「人権」の理念は合衆国憲法やその修正条項である「権利章典」に盛り込まれた。

ところが、現実に建国当初のアメリカで人権を保障されていたのは、土地を持つ白人男性にほぼ限定されていた。

独立当時のアメリカ250万人のうち、50万人は人権など皆無の奴隷であり、さらにほとんどの労働者階級の男性や黒人男性、全ての女性と子供、犯罪歴のある者、アメリカに来たばかりの移民、そして全てのアメリカ先住民には人権が存在しなかったのである。

高邁な理想を掲げていたアメリカ建国の父祖とされる人物の多くは、奴隷を所有する大地主だった。

現在、アメリカの極左は「キャンセル・カルチャー」でこの事実を抹殺しようとして、ジョージ・ワシントンの銅像を引き倒したりしているが、それは歴史の破壊行為以外の何物でもない。

1776年のアメリカ独立宣言の時点において、ありとあらゆる人間に対して、完全無欠で非の打ちどころのない人権の保障ができたとでもいうのか?

そんなことは今でも出来ていないし、おそらく永遠に出来ないことであるはずなのに、250年前にそれが出来なかったからと言って、当時の人間の生きた軌跡を全て消し去ろうというのだ。そして、そうすれば完全無欠な人権保障社会が出来ると信じ切っているのだ。狂っているとしか言いようがない。

権利意識の向上なんてことは、漸進的にしかできないものだ。現在の人権感覚だって、未来から見たら不備だらけかもしれないし、未来から過去を断罪し、キャンセルすることが許されるのなら、現代だって未来からキャンセルされるかもしれないのである。

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