車内で彼らと打ち解けると、徐々におふざけがエスカレートしだした。僕はみんなから、これを持て、これも持てと、ルーマニア製とセルビア製の自動小銃を抱えさせられ、さらにピンを抜いたら5秒でドカンといくセルビア製の手榴弾をトレーナーの首からぶらさげられた上、その格好で隣の席の女性志願兵の肩を抱いているところを写真に撮られてしまった。
こんなことをやっているうちにバスは1時間半後、グミのような潅木の生えた山中の猫の額ほどの空き地に到着した。すでにここはボスニア=ヘルツェゴビナ内だという。あらら、国境を越えてしまっていたのね。
3台のバスから下車した志願兵は総勢50人ほどで、ここからその先にあるキャンプまで救援物資を歩いて運ぶのだ。
そして僕は彼らから二者択一を迫られる。このまま折り返し運転のバスで引き返すか、一緒にキャンプまで行くか。
「おまえは民間人だ。もし敵に攻撃されたらみんなでおまえを守るから心配いらない。一緒に来いよ」
キナ臭いところが好きな僕のこと、この言葉に食指が動かないわけがない。ただし、正真正銘の戦争の中へのこのこやってきた外国人旅行者に対して、こうまで断言してくれる彼らの言葉はこのうえなくうれしかったが、家族を守るために戦っている彼らがまったくの部外者である僕を、命を賭して守るべき必要性などどこにもない。僕は調子に乗りすぎたようだ。
「戻ります。メトコビッチへ戻ります。みなさんも気をつけて」
何人かと連絡先を交換し、固い握手やら抱擁やらを交わすと、僕はふたたびバスに乗った。車内は運転手と僕のみ。運転手は僕への好意から、メトコビッチではなくなんと150キロ離れたスプリトまで送るという。3台のバスが車間距離を十分にとりながら狭い山道をくねくねと進む。僕のバスはまんなか、2台目である。
そしてこの日の最大のピンチは、バスがさほど進まないうちに発生した。前方から先頭バスの運転手が両手で頭を抱えながら戻ってきた。口をもごもごさせるだけでなにもいえない。なにかよほどショックな出来事が起こったらしい。
僕と運転手は不安な気持ちで前方へ走っていくと、そこには右の後輪を路肩から大きく踏みはずし、道路脇の潅木に寄りかかって斜めになったバスがあった。前へまわると、左の前輪はずいぶんと浮いてしまっている。よく山肌を転げ落ちなかったものだ。
先頭車がこれではコンボイを組んだ後続車も立ち往生するしかない。無線連絡でキャンプから車で十数人の兵士が駆けつけ、全員で持ち上げようとしたりワイヤで連結して牽引したりしたものの徒労に終わる。さてどうしたものかとみんなで思案しているところへ、なにやら轟音が。