【渡航禁止?】ユーラシアを歩いて旅して20年!ユーゴで迫撃砲の攻撃に遭う

 

ここからは当時の日記を転写したい。

なんだ、あの轟音は。ゴーーーーッ。ジェット機が飛び立つときの音のようだぜ。それにつづく、ゴンーッ、ゴォーン、ゴンというのはなんだ? とにかく僕はそんな状況の中で(日記を)書いている。山の中、鳥の鳴き声がなにごともないようにあちこちから聞こえる。あ、銃声だ。山にこだましてよく聞こえたぞ。そんな近くでやってんのか? 勘弁してくれえ。

兵士たちが脱輪したバスを相手に四苦八苦しているさなか、僕はそのあたりにしゃがんで日記を書いていたらしい。彼らの話では、セルビア軍とクロアチア人・イスラム教徒連合軍による迫撃砲の応酬戦だとか。鈍い音はその着弾音だ。さらにダダダダダダッという銃撃音が混じって聞こえていた。

十数人の兵士たちは万が一の戦闘に備えるため、その場を離れてキャンプへ戻っていく。これでは僕はどうやって山を下りればいいのだと焦っていたところへ、前方からニッサンに乗った救いの神が現れた。サンディーと名乗った彼はマイカー持参でクロアチア軍に志願していた。

「どうせ脱輪したバスが通せんぼしてキャンプまで車で行けないのだから」

と流暢な英語でいうと、僕の窮状を察してメトコビッチまで車で送ったうえに宿の手配までしてくれたのだった。山から下りるあいだじゅう、彼のニッサンのカーステレオから「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が流れていたのを覚えている。

さらに、サンディーが手配してくれた宿で泊まり合わせた避難民の子どもたちが、ずーっと夜泣きのしどおしだったことも思い出す。

バスでボスニア=ヘルツェゴビナに入った日の2日後、陽気なイタリア人でごった返すペスカーラに戻ってきた。しかし、ボスニア=ヘルツェゴビナの山中で聞いた不気味な迫撃砲の鈍い轟音と銃撃戦の乾いた音は、それから2週間ものあいだ毎晩のように夢の中でよみがえり、とても安眠などできるものではなかった。

ただ、たとえそうだとしても僕はただの野次馬、戦争の犠牲者であるあの子どもたちの心の傷に及ぶはずもない。

 

『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第1号より一部抜粋

著者/平田裕
富山県生まれ。横浜市立大学卒後、中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発、現在一時帰国中。
≪無料サンプルはこちら≫

KIRIN「まぐまぐニュース!」デリバリー版
まぐまぐ!の2万誌のメルマガ記事から厳選した情報を毎日お届け!!マスメディアには載らない裏情報から、とってもニッチな専門情報まで、まぐまぐ!でしか読めない最新情報が無料で手に入ります!規約に同意してご登録ください!


print
いま読まれてます

  • 【渡航禁止?】ユーラシアを歩いて旅して20年!ユーゴで迫撃砲の攻撃に遭う
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け