世界的ファッションデザイナー・森英恵が人生で大切にしてきた言葉

GOMEL, BELARUS - MAY 31, 2018: Handkerchief Hanae Mori. Hanae Mori, is a fashion designer in Japan.GOMEL, BELARUS - MAY 31, 2018: Handkerchief Hanae Mori. Hanae Mori, is a fashion designer in Japan.
 

世界的なファッションデザイナーで、日本人では唯一のパリのオートクチュールデザイナーでもある森英恵さんが先日、96歳で亡くなりました。その追悼の意味も込めて、今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、生前の森さんの貴重なインタビューを紹介しています。

デザイナーは日々新なり──森英恵さんの仕事の信条

去る11日、世界的なファッションデザイナー・森英恵さんが96歳で逝去されました。

森さんは『致知』2005年12月号にて本誌でお馴染みの文学博士・鈴木秀子さんと対談されています。追悼の意味を込めて、この対談の中から森さんのデザイナーとしての原点となるお話をお届けいたします。

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鈴木 「ところで、人間は着るものによって変わることってございません?例えば武道などでは形を整えることから始まりますし、女性なら着物を着ると、立ち居振る舞いまで女性らしくなったりすることもありますでしょう。

ですから人間は自分で衣服を選んでいるように思いますが、逆に衣服から無意識に影響を受けている部分もあると思うのです」

森 「ありますね。ただ私が手掛けてきた「洋服」という存在は西洋の暮らしの伝統の中で育まれてきたものですから、ライフスタイルの違う日本の暮らしに合う洋服をつくるということは最初はなかなか難しかったですね。

鈴木 「そもそも森先生がこの服飾デザイナーの道に入られるきっかけはどのようなことでございましたか?」

森 「父は島根で開業医をしていました。なかなかセンスのいい人だったといまは感じています。母は料理が上手で、子どもたちをかわいがる人でした。

私は5人きょうだいの下から2番めで、男が2人で女が3人。当時ですから、家の中では男が大事にされていました。一番上の兄が東大の医学部に入ったので父はとても喜びましてね。二男も東京の高等学校に入れたいといって、田舎から東京へ大工を送って家を建てさせたんです。

一方、女は女らしく育てたいということで、今度は姉が跡見女学校に入れられました」

鈴木 「その頃跡見といえば女子教育では1番でしたものね」

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