ベビーカー蹴る、睨む、保育園を潰す。なぜ日本の高齢者たちは子供を憎むのか?

Oct,27,,2016:,Hiroshima:-,Senior,Adult,Man,Sits,Alone,At
 

少子化対策が喫緊の課題となっている我が国において、一部高齢者の子供や子育て世代への嫌がらせの域を超えた行為や暴言が問題視されています。一体なぜ彼らはこれほどまでに、次世代の宝を敵視するのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、そんな高齢者たちの心理状態を分析・解説。その上で、彼らにどう対処すべきかを考察しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年5月2日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

「自分は生まれてこない方がよかった」。日本の高齢者が子供を憎む訳

勿論、全員ではありません。ですが、日本の高齢者、特に高齢男性による子育て世代や子供への攻撃というのは、目に余るようです。

「妊婦マークに舌打ち」

「ベビーカーを蹴る」

「交通機関で泣いた子供をにらみつける」

「騒音のクレームで、公園や保育園を潰す」

ホンモノの研究かは分かりませんが、子供のいない、従って孫もいない高齢者は、特に子供の騒音を耳障りと感じるという医学上の説があります。ですが、そうした場合でも「自分もかつては泣き叫ぶ子供だった」という事実を突きつければ、黙るのかと思うと、昨今の状況では、必ずしもそうではないという見方もあります。

それは「自分は産んで育てて欲しかったわけではないので、責任の取りようがない」という居直りです。この話は、例えば「子供を生み育てることは、カネとヒマのある人の娯楽」あるいは「子供は嗜好品」だから、「周囲への迷惑は一切許さない」という「めんどくさい」声にも当てはまります。

こうした声に関しては、「タバコや酒は嗜好品かもしれないが、あなた自身が子供であったことを考えると嗜好品扱いはおかしい」という反論が可能ですし、人間には次世代の再生産ということが、個別の「揺れ」はあっても種の生存本能として厳然とあるという指摘も可能なわけです。

昔のクレーマーはそれで黙ったようですが、最近は、「自分は生まれてこなくても良かった」とか「自然を破壊する人類は滅んだほうが良い」的な開き直りの論法が飛んでくるという話もあります。

そうなると、これはやはり社会的なメンタルヘルスの問題になるのだと思います。「自分は生まれてこなかった方が良かった」と思うのは、人のメンタルの状態の中で最悪の部類に入ると思います。そのような強い自己の存在否定を抱えていれば、そこからは「愛されて甘えている子供の姿」は憎いという発想になります。そうなれば、それ自体が反社会性ということになりますが、だからといって取り締まったり、糾弾したり、差別をしても問題の解決にはなりません。

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